天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

自然を描くマーラー

マーラー交響曲の中で最も好きなのは2番復活。その次は3番かなあと思っているのだが、先週のN響レジェンドはそのマラ3ノイマン。100分交響曲を86分で演奏したが速さを全く感じさせない悠然演奏。


この曲には特別な記憶からあってそれは小泉郵政解散開票日。開票速報を見始めたけど早々と小泉圧勝→アホらしくなって開票速報見るのを止めてN響アワーガリティーN響終楽章。これがよかった、その時の気分にぴったり→諦念されど性は美しい。以来、マラ3といえばこの夜の記憶が甦る。


それはともかくマラ3謹聴。ウィキを見ながら聴いた。


第一部
序奏 「牧神(パン)が目覚める」
第1楽章 「夏が行進してくる(バッカスの行進)」 
第二部
第2楽章 「野原の花々が私に語ること」
第3楽章 「森の動物たちが私に語ること」
第4楽章 「夜が私に語ること」
第5楽章 「天使たちが私に語ること」
第6楽章 「愛が私に語ること」
しかし、これらの標題は、後に誤解を受けるとして、マーラー自身の手により破棄されたため楽譜には書かれていない。
指揮者のブルーノ・ワルターは、1894年から1896年までハンブルク歌劇場でマーラーの助手をつとめていたが、1896年の夏マーラーに招かれてシュタインバッハを訪れた。ワルターの回想によれば、このとき、汽船で到着したワルターが険しく聳(そび)えるレンゲベルクの岩山に眼をとめて感嘆していると、迎えにきたマーラーが「もう眺めるに及ばないよ。あれらは全部曲にしてしまったから。」と冗談ぽく語ったという。休暇の終わりには、ワルターは新しい交響曲マーラーのピアノ演奏で聴いている。
昨日の日記で風景の音楽、葛藤の音楽、音自体の音楽と分類したが
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2019/07/01/061314
マーラー は死と生の葛藤の作曲家のみならず、自然描写の人でもあるわいと感じた。とりわけ第1楽章→「夏草や兵どもが夢の跡」芭蕉。その自然描写から第4楽章以降、心の中に分け入って終楽章は自分への挽歌、死の覚悟を表すようなティムパニー悠然連打があって曲は終わる。マラ2復活では「甦るために死ぬ」などという強弁で音楽は終わるが、3番にはそんな誤魔化しはない。死ぬ覚悟をせねばならない時はこの終楽章を聴こう。まだまだ何十年も先だろうが。
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マーラー が見たであろうシュタインバッハの風景。
https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=25651000552
自然は永遠の循環なれど人生は一回こっきり。そこが渡世人のつれえところよ、さくら。