天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

東京新聞電子版3450円

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東京新聞電子版検索「東直子」で見つけた記事、

 柳本さんは「新聞の歌壇俳壇は、いろんな人の作品と一緒に、ニュースとともに載っている。短詩と普段生きていることの接点のよう。選者は直接対話はできないけれど、多様な声を発してくれて神さまとのやりとりみたい。不思議な場所」と言う。句集や歌集を出すようになっても投稿は続けたいと考えている。

 

上はこの記事からの一部コピペ。俺が新聞歌壇俳壇を愛する理由を語ってくれてるような気がした。こうやって遊べるみたいだから電子版購読料月額3450円も高くないか。とりあえずは初月無料で使い始めた。東京新聞HP経由ネット投稿もせむか←佐佐木幸綱選希望一首も既に認めてあり。

愛は意志、愛は楽観

FBで「愛は意志」なる言葉にたまたま巡り合っていて気になっていたら歌誌NHK短歌でこんな歌に出会った。

青萱のいきれに蒸れる野の小路
<悲観は感情、楽観は意志>

青木昭子

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この歌をネット検索していたら

悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思によるものである
アラン

なる言葉にも遭遇した。そうか、「愛は意志かつ楽観」かと納得。そこで意志がなんたるかをより知りたくなり、そういえば「意志と表象のなんちゃら」なんて本があったなと検索して面白い記事に出逢った。

 

 このようにして意志の性質が明らかになってきた。それは大まかに分けて次の2つであろう。①意志は常に努力し続け、絶え間ない闘争を繰り広げるものである。②その努力と闘争には何の根拠もない。意志=物自体は無根拠である。

この記事の筆者は意志=物自体としています。私の理解では意志=生命=物自体となります。これを生命を含む物質全てに拡張すると意志=エネルギー=物自体です。なるほど、愛はエネルギーであったのだ。

と、FB「愛は意志」記事にコメントさせて貰った。

愛は意志愛は楽観 悠久の大河の流れその一滴を生く

将棋と短歌と人生

スナック和代にて/和代が選ぶ旧作

 

エライご無沙汰やったねえ、何しとったん?
いや、老人アパートもイロイロあってな
短歌の新聞投稿、再開したんよね
うん、アパートのウケ狙いよ
それで入選したん?
まだわからへんねん。投稿から掲載まで一か月以上タイムラグがあるみたいなんよ
そうか、気長に楽しみにしてなはれ
おおきに
そいでな、ウチがいくつか選んだったわ、あんたの旧作縦書き文庫から。

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土曜日の各駅停車ゆるゆると詩歌読みつつ職場に向かふ
エロスより出でてエロスに環り来む意味を求めてめぐりし後に
所有するなにものもなく愛恋の憶ひは持たず過ぎゆくは秋
穏やかなニヒリストあり絶望も希望も持たず悦楽に生く
まあ、こんなとこやね。このエロ悦楽歌人
はは、若気の至りよ。

 

健太郎の日記/将棋と短歌と人生

 

日経歌壇選者の穂村弘で検索したらオモロイ記事に出会ったのでコピペしておく、

 

―他の文学ジャンルにはない、短歌ならではの良さはどのあたりにあるとお考えですか?
穂村「作者と読者の他に、もう一つベクトルがあるところですかね。短歌の作者は必ずしも読者に向かって書いているわけじゃないんです。じゃあ何に向かって書いているのかというと、五七五七七の究極形というか完全形というか、大げさにいえば神様に向かって書いているところがある。
将棋とちょっと似ていて、将棋も完璧な将棋の最終形、それが解明されたら将棋自体がなくなってしまうような究極の形を目指すっていうベクトルと、眼の前の相手に勝つというベクトルの二面性があります。おそらく将棋指しはみんなどちらかのカラーを持っていて、相手に負けないという指し方をする人と、究極を目指して神様に向かって指す人がいる。

考えてみたら、この二つのベクトルは将棋と短歌だけではなく人生にもあるんやな。
将棋では勝ち負け追求と名局探求、短歌では名歌迷歌吟詠と五七五七七充填、そして人生では例えば争い→意味探求と、生きることそのもの。
ここでネルケ無方を思い出した。


人生の意味探求なんて将棋で言えば勝ち負け追求にしか過ぎない。そんなことよりもっと大事なのは
勝ち負けとか人生の意味その他諸々の思いを手放してただ生きること。

ということで俺はあらためてひたすらエロスに徹しよう。生きる意味なんかないのだから。

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三田の花山院にて

有馬富士ふもとの霧は 海に似て 波かと聞けば 小野の松風
https://www.city.sanda.lg.jp/gakushuu/sisi/dayori/documents/100301.pdf

日経歌壇落選?の記

日経歌壇投稿を数十年ぶりに再開したのが先月29日、今日あたりにはひょっとしてと思って電子版が届いたら早速、詩歌教養面を開いたのだが残念→我が名は在らず。
落選したのかな?それともまだ選歌中のかなあ、状況不明だが、こうして楽しめるだけでも満足としよう。また、短歌だけでなく俳句も楽しめるのだから文句を言うたらバチがあたるなと俳壇も熟読→「湯豆腐や」の句が一番気に入ったわ。

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更に読書面を読んでるとこんな記事もあり。


Kindle Unlimited退会しようとしたか思い直してよかったトクになった。大江健三郎を今さら読むとは思えないけど。

短歌熱上昇中

サ高住でのウケ狙いで再開した新聞歌壇投稿。

昨夜、晩飯食いながら思いついた。
日経歌壇に短歌投稿を再開してみよう。万が一入選したらこの老人アパートの話題になるな、オモロイ。
確か日経はメールで投稿できる筈やと投稿要領検索→メアド確認。

 

そして、日経歌壇線者穂村弘研究→こんな刺激的な本に出遭えてシアワセ。


いよよ短歌熱上昇中→日経歌壇だけでは物足りず毎日電子版購読開始/毎日新聞にも投稿始めたわ。
毎日は今月来月はキャンペーン価格100円、以降も安くて読み応えあり。年間優秀作品に選ばれるとご褒美ある模様。

ひょっとしたら短歌は生涯の趣味なのかもシレン

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昨日訪ねた三田、方広寺石庭。

無分別のすすめ

健太郎の日記/森政弘「二元性一原論」

毎週日曜Eテレこころの時代を録画チェックしているが、今週はあのロボコンの発案者森政弘登場。全文文字起こし記事を見つけたのでエッセンスをコピペ。

ナレーター:  森さんは、「対立する二つのものを一つ」と、とらえる仏教の考え方を「二元性一原論」と呼んでいます。
丸井:  二元対立の二元ですね。
森:  はい。これ二元ですね。この「原」が大事なんです。「二元性の一原論」の「原」が。急に全体の話になりますが、結局我々こう二つの世界というかな、さっき挙げましたね、大と小の対立の―それで大きい方のあれでいくと、全宇宙になるんですね、それが。その全宇宙というものを知らないと、本当の仏教がわからないんじゃないか、と僕は解釈している。実際全宇宙というものは、実は自分も入っているわけです。そうすると、ここが難しいとこです。一つは仏教の、本当にわかるか分からない、のもう峠ですけど、言葉で言っちゃうと二つになっちゃう。対象になるから。だから言葉で言えない。黙っているよりしょうがない。表現したら、それでなくなる世界があるんです。これが「無」とか「空」という実の世界。

オモロイなあ、このオッサンと思ってKindle検索したら著書に「無分別のすすめ」なる本がある。俺も先日

人生=分別(損得、好き嫌い、善悪、理非)+無分別(苦楽、美醜、虚実)が見えた。自力=生活は分別、他力=人生は無分別をもってよしとするということだ。
そして、死を厭う心もまた生死分別なのだから、無分別をもってすれば俺が長年求めていた納得して死ねる境地に至る。ふふ、これも分別なのだが。

と書いたばかりなのでサンプルダウンロードして読んでみた。そこでこれまたエッセンスコピペ。

「だが 、そのように言語はわれわれにとって必要不可欠な大切なものだからこそ 、それを一度否定してみる必要がある 。それが無分別でもある 。あるいは 、車は 、走らせる作用のアクセルと 、その反対の止める作用のブレ ーキとの両方があって 、はじめてスム ーズに走ることができるように 、人間のコミュニケ ーションは 、言語の世界と言語を否定した世界との両方が必要であると言ってもよかろう 。言語の否定の第一歩は 、言葉の危険性 、言葉のトリック性を知ることから始まる 。これが無分別への入門である」

—『無分別のすすめ 自在に自分を動かす (PHP文庫)』森 政弘著

分別はアクセル、無分別はブレーキとはなるほど我が「分別無分別二本足」を肯定してくれてるわいと意を強くした、気分よし。

幸代の返信/相変わらずアホ、健太郎

老人の暇潰し屁理屈が好きやなあ、健太郎。ウチとアンタとはアクセルとブレーキやで。たまにはアクセル吹かしてみな。

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日経歌壇投稿復活

健太郎の日記/動機はいつも邪なり

 

昨夜、晩飯食いながら思いついた。
日経歌壇に短歌投稿を再開してみよう。万が一入選したらこの老人アパートの話題になるな、オモロイ。
確か日経はメールで投稿できる筈やと投稿要領検索→メアド確認。

はがき1枚に3首(句)まで、未発表の自作。住所、氏名(本名でも筆名でも構いません。筆名の場合はカッコ内に本名を書き添えてください)、希望選者名を明記。同じ作品を2人の選者に送ることはできません。

日経の現在の選者は誰だっけとこれも検索

日経歌壇(三枝昂之氏、穂村弘氏)

穂村弘の方が良さげなので先ほど三首メール。昔は拙い手書きでハガキに書いて投函しに行ったものだ。

昔は毎週、日経歌壇に投稿してたもんや。ハガキに短歌を書いて入選したらエエのになあと願いつつポストまで歩いたもんや。53 首掲載されたのが我が人生のささやかな喜びや。

さて、この邪な思いつき、果たして継続するやろか。今日はイオンの5%割引き日。ワインと安焼酎、乾き物購入所存。明日は明日の風が吹く

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幸代の返信/ホンマ、調子者やで

 

短歌も歌人も全く無知やけど、穂村弘を検索してみた。

何もせず過ぎてしまったいちにちのおわりににぎっている膝の皿
ゆめのなかの母は若くてわたくしは炬燵のなかの火星探検
海に投げられた指輪を呑み込んだイソギンチャクが愛を覚える

なんかシュールやねー、アバンギャルドや。あんたの平凡な生活歌を採ってくれるとは思われへんわ。まあそれはともかくアンタ遊びなはれ、アンタがニッポン一になるためやったらウチは何の苦労もせえへんで。