天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

物理学も音楽も心のモデル化

録画しておいた神の数式第一回を昨日勉強。


第1回 この世は何からできているのか~美しさの追求 その成功と挫折~
第2回 “重さ"はどこから生まれるのか~自発的対象性の破れ 驚異の逆転劇~
第3回 宇宙はなぜ始まったのか~残された“最後の難問"~
第4回 異次元宇宙は存在するか~超弦理論“革命"~


この番組、以前にも見たような気もするがツイートにもブログにも何ら痕跡が残っていないのでそれではならじと日記に書く。
ネット検索して見つけた解説記事から今回一番参考になった部分をまず、コピペさせて頂く。


ディラックは特に「数式の美しさ」にこだわっていた。その当時、素粒子はまだ電子しか見つかっていず、それがマイナスの電気を帯びていることがわかっていた。また電子はこの時代に見つかったばかりのシュレディンガー方程式に従って運動していることがわかっていた。しかし、この方程式を使っても解明できない問題が残っていた。それは電子のエネルギーについて、電子が自転(スピン)について、電子が磁石のような性質をもっていることなどの問題だ。なぜ自然はそのような性質を電子に与えたのか?物理学者たちはその数式を求めたがまったく歯が立たなかった。


それまでの物理学者たちは実験や観測結果を数式に置き換える方法をとってきた。けれどもディラックの方法はそれとはまったく違い、「物理法則は数学的に美しくなければならない。」という自分の美的感覚にしたがって数式を導くものだった。「美しさ」は人によって違う曖昧な概念だ。しかし物理学者たちが考える「数学的な美しさ」ははっきりとしている。それは「数式が対称的である。」ということなのだ。


ここでいう対称性とは回転対称性、並進対称性、ローレンツ対称性などの事だが、平たく言うとどこでもいつでもどの視点からでも成り立つ対称性ということだ。つまりディラックは電子を数式にモデル化するに際してどこでもいつでも運動している誰からでも成り立つ対称性をモデルのルールとして採用したのだ。


これが分かったのが大収穫。番組は数式の中身に入ることは避けて人物で描く物理学発展史ドラマとして描く。以下、上の記事を参考コピペさせて頂いた備忘ツイート。








よし、これで自発的対称性の破れ→物質と重量を生み出し星が出来て星のかけらである生命→人間への道筋を俯瞰できるようになった。今日は番組第2回 “重さ"はどこから生まれるのか~自発的対象性の破れ 驚異の逆転劇~を勉強しよう。


さてそこで思うのだが、物理学は自然現象のモデル化、数式は言わば作曲された楽譜。番組が避けたのは楽譜の中身←だって楽譜だけで音楽を聴くのは素人には無理だしそもそも音楽にするためには楽譜の解釈→演奏が必要。
番組が数式の中身を語るのを避けたのは音楽史を音楽は置いといてバッハ、ハイドンモーツァルトなどの作曲家を語ることによって音楽史のイメージを持たせようなものだ。
物理学が自然現象のモデル化であるのと同様に、音楽は心の中のモデル化と考えられる。ディラックが電子のモデル化にあたって対称性を軸にしたのと同様な例を考えると、ベートーベンが音楽の軸に啓蒙思想を取り入れたことだろう。以降、ロマン派は個人の生き方や感情、更には友愛、平和や戦争など社会を語る。
そしてもう一つの例はシェーンベルクの十二音技法。彼はロマン派の行き詰まりを調性から脱却、十二音を平等に扱うことで打破しようとした。


以上、エラソーな事を書いたけれど実は物理学を数式で語る能力は無いしシェーンベルクの音楽もようわかってない。音楽も物理学もモデル化、モデル化にあたっては哲学が大切。ディラックは美=対称性を哲学とした、偉人である。賢そうな顔をしてるよ。

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