カンタータ第70番《目を覚まして祈れ!!》最後の審判に備えよ、最も小さい者は私だ
昨夜のバッハ オルガン全曲演奏会#10の余韻をあたためている。ポリフォニーの饗宴だったなあ、スマホ予習を何度の繰り返してもなかなか耳に馴染まず、ライブ時にああ、ここは聴き覚えあり、があまり無かった。それでも予習した甲斐ありとしておく。ライブのオルガン、あの生き生きした音を退屈せずに浴びられたのだから。
さてカンタータBCJ巻15お勉強。カンタータ第70番《目を覚まして祈れ!祈りて目を覚ましおれ!》
オルガン曲の精巧複雑に比べれば、カンタータは聴きやすい。ポリフォニーといっても主声部+通奏低音+オブリガート程度だから←たまに合唱フーガなんかあるけど。器楽曲は神の探求、宗教曲は会衆向けという相違があると思う。
さて、このカンタータは
この曲はバッハが描いた「最後の審判」として、壮大な響きとバッハ独特の抒情が融合された非常に多彩なカンタータとなっています。
http://bach-kreis-kobe.music.coocan.jp/text/70.html
以前に最後の審判についてイエスは一言も言っていないと書いたが、それは間違い。今回、聴きながらネット検索→マタイ福音書に記述ありと判明した。
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
http://blogs.yahoo.co.jp/tatsuhiroiwamoto/33263822.html
キリスト再臨時に善行を施したか否かによって、天国行きと地獄行きに振り分けられる。キリスト教徒、仏教徒その他に関わらず全人類が←おお、恐ろしい。
でも、安心しなさい。心は正しくても肉体は弱い←このカンタータにこのような歌詞あり。他人に施すよりは自分が食うのが先→君が罪人だということはキリストはよく分かっている。キリストの愛が君を救う。だからキリストを信じよ。
こういう信仰がキリスト教だ。半ば脅迫ではあるが、それは愛でもある。そして釜ヶ崎の福音者→本田哲郎によれば
【マタイ福音書二五章40節】本田哲郎訳
わたしの身内であるこのいちばん小さくされている者の一人にしたのはわたしにしたのである
イエスは施しをする側ではなく、施しを受ける側にいる。炊き出しを受ける列にイエスは並んでいるのだ。
http://ameblo.jp/jamannzu/entry-12069255775.html
我が日記も参照。
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2017/03/11/053920
最後の審判を半分ぐらい信じてなるべく善行して日々楽しもう、最期の日まで。