ガット弦と金属弦
イザベルブァウスト×ベザイデンホウトでバッハ
イザベル・ファウストがここで演奏しているヴァイオリンの銘器ヤコブ・シュタイナーは、一時はヨーゼフ・ヨアヒムの手元にあったと考えられている楽器で、キレの良さ、あたたかみ、そしてメランコリーな表情にも合う暗めの音を兼ね備えています。そしてベズイデンホウトが奏でるチェンバロは、ピノックから貸与された、バッハも深く愛したジャーマンスタイルの楽器で、オルガンのように豊かな響きを可能にしながら、一音一音の発音(響き)が非常にクリアな名器です。二者のバランスも理想的な演奏です。
https://www.hmv.co.jp/fl/12/1842/1/
を聴いているのだが、いくら聴いてもバイオリンの音がくすんでいて、面妖な感じさえする。イザベルブァウストがガット弦バロックボウで弾いているせいなのか、面妖感があるのは金属弦バイオリンに慣れ親しみ過ぎてるいるせいなのか、よう解らず。
そこで検索してつきかの記事発見。
私は普段、チェンバロを伴わず、無伴奏作品の全曲を弾く場合などは、必ずモダンのセッティングの楽器と弦を使います。でも、チェンバロと共演する場合には、ピュア・ガットは必須だと考えています。それどころか、いつものストラディヴァリウスではなく、バロック・ヴァイオリンを使う必要性も感じました。なぜなら、チェンバロの独特な音色には、この方が遥かに向いているからです。
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/izumihall/entry-12310409608.html%3Fusqp%3Dmq331AQNKAGYAcaw-bbnotWLBQ%253D%253D
演奏家はいろんな事をたくさん考えているのに聴き手が着いていけてないということかと少々がっかり溜息なり。
不道徳な一期一会
ロス11枚組からパルティータ4番ニ長調BWV828。ロス→鈴木雅明と聴いてやっぱりグールド。バッハ鍵盤曲に導いてくれたグールドが一番、バッハの壺を教えくれる。チェンバロの装飾的な響きよりもピアノ、ポリフォニーを透明に聴かせてくれるのだ。
ところがバッハをピアノで聴く際にいつも思い出すのはレオンハルトの言葉。「レオンハルト 不道徳 ピアノ」検索→コピペ。
---最近では再びモダン・ピアノによるバッハ演奏の試みが増加しているように思われますが。
L 私はきわめて否定的です。絶対にやるべきではない。バッハの意図をすべて無視する行為といってよいでしょう。歴史的チェンバロがなかった100年前なら許されるでしょうが、私は我慢できません。まったく不道徳です。
http://www.allegromusic.co.jp/LeonhardtInterview2007.html
不道徳とはまた手厳しい言葉だ。バッハがチェンバロの特性を生かしてせっかく作曲したのにという思いなのだろうが。
そこで聴き比べレミ・ジュニエ。グールド よりももっとピアニスチックな演奏。
あ、可愛いなあ。グールドとジュニエとどちらがいいかなんて議論しても始まらない。富士山とアルプスを比べるようなもんだ。富士には富士の、アルプスにはアルプスの良さがある。第一、聴き比べる自分のその時の気分による事の方が大きい。だから全ては一期一会。不道徳な一期一会もあるではないか。
フランチェスコ・トリスターノ
ロス11枚組パルティータ6曲→1、5、6、2.、3番終了。馴染み深いグールドが一番だが、もっと異色なのがトリスターノ 。
①トリスターノ:イントロイト
②J.S.バッハ:パルティータ第1番 変ロ長調 BWV825
③ケージ:ある風景の中で(1948)
④ケージ:四季(1947)
⑤J.S.バッハ:4つのデュエット BWV.802-805
⑥ケージ:南のエチュード 第1巻から 第8番(1974/75)
⑦トリスターノ:インタルーズ
⑧J.S.バッハ:フランス組曲第1番BWV.812からメヌエットⅡ
フランチェスコ・トリスターノ(ピアノ)
録音:2010年8月 ベルリン、テルデックス・スタジオ
解説(内容)
【ドイツ・グラモフォン定盤 premium】【SHM-CD仕様】【グリーン・カラー・レーベルコート】【ルビジウム・クロック・カッティング】クラシック、テクノ、コンテンポラリーと縦横無尽に「音楽」を奏でる奇才、トリスターノの記念すべきメジャー・デビュー盤。1981年ルクセンブルク生まれ。ルクセンブルク、ブリュッセル、パリの音楽院で研鑽を積み、ジュリアード音楽院で修士の学位を取得。2000年にはプレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管との共演でアメリカ・デビュー、その後もクラシックの枠にとらわれない活躍を続け、2015年にリリースしたアリス=沙良・オットとのアルバム『スキャンダル』は大きな話題となりました。デビュー・アルバムは自作と現代曲にバッハを加えた、トリスターノらしい選曲が光ります。
https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E4%BD%9C%E5%93%81%E9%9B%86_000000000017977/item_%E3%80%8E%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%80%8F-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8E_8201382
電子ピアノみたいな音が刺激的。パルティータ1番から聴き始めて今はケージ。ケージの音楽はひょっとして初体験かも。夢の中へ行ってみたいと思いませんか、だな。
スコット・ロス11枚組発掘開始
ラジクールで毎回録音FM古楽の楽しみ→先週金曜リクエストアラカルトでスコット・ロスに遭遇、名前は知っていたが聴き込んではいない。そこでSpotify探索→あったぜバッハ11枚組。
2019年はスコット・ロスの没30年にあたり、それを記念しての「バッハ:鍵盤楽器作品録音集」を発売いたします。エラートへの録音だけでなく、モントリオールでのカナダ放送協会音源(一部エラートでも発売)や、初CD化ライヴ音源やオルガンの演奏も含んだ貴重な録音集です。
https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%EF%BC%881685-1750%EF%BC%89_000000000002339/item_%E9%8D%B5%E7%9B%A4%E6%A5%BD%E5%99%A8%E4%BD%9C%E5%93%81%E9%8C%B2%E9%9F%B3%E9%9B%86-%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B9%EF%BC%88%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AD%E3%80%81%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3%EF%BC%89%EF%BC%8811CD%EF%BC%89_9780518
パルティータ全曲を始めとするクラヴィーア曲及びオルガン曲を聴けるようだが、この11枚組の順に従って今朝はパルティータ1番BWV825と5番、聴き比べPLも作成。ロスの明るい音、歯切れのよいバッハ、そしてグールド ←サラバンドなどはロマンチックそしてひねりの効いたグールド 節。
ロス発掘プロジェクトはグールド 復習プロジェクトでもある。
煩悩のチャンピオン、復活
昨日の日記は「バッハ、煩悩を超える音楽」
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2019/06/22/031525
だったが、人間最大の煩悩→死にたくない、死ぬのは厭だを描いたのはマーラー 、とりわけその交響曲2番復活は煩悩のチャンピオン、我が最愛のシンフォニーでもある。
そこで昨日のジムBGMは全タイトル所有している名曲探偵アマデウスからマーラー 復活。
「名曲探偵アマデウス マーラー 復活」検査して見つけた記事からコピペ借用してこの回のストーリー要約。
依頼人さんがロボット研究の博士さまで
自分がつくった大事なロボットが、
動かなくなっちゃったんです
そのロボット、マサオくん っていうんですけど、
人間の心を学ぶことができるんですって
ホントですかい
それで、マサオくんが動かなくなった原因が、
マーラーさんの「交響曲第2番【復活】」を聴いたからなんですよ
人の心を学ぼうとしたマサオくんが、
自分で選んで聴いてたんですって
この曲、すっごい演奏時間が長くて、
しかも合唱とか入っててすごい盛り上がるんですよね
タイトルも「復活」だし、なんかちょっとテツガク的
所長、こんなの解決できるんですかっ
https://marienplatz.blog.so-net.ne.jp/2011-08-19
「蘇るために死ぬ」が作曲に苦吟したマーラー がたどり着いたこの曲のメッセージだが、それをどう受け止めるかは聴き手次第と名曲探偵はこの回で何らアナウンスなく終了2012年3月。
思うに、死ぬのは天国に行くためというのはあまりにもキリスト教的浄土教的解決。天国も地獄も極楽浄土も信じない、人間死んだらただのゴミと考える唯物論者は禅的解決→即身成仏→悟りに憧れるが悟りもまた凡人には狭き門。しようがないから今朝は復活シュトゥツマン小澤征爾SKO東京文化会館ライブ。
ナタリーのアルトが深く心地よく、また、臨場感溢れる名演だ。人間、生きてるうちがハナ。生きてるからこそイエスの復活なる壮大な虚構もマーラー も煩悩を超える音楽=バッハも味わえるのだ。
バッハ、煩悩を超える音楽
今朝の聴楽はライブ予習。一つは京大オケ。
カリンニコフをライブで聴くのが目的。合わせてチャイコ、ドビュッシー 。
そしてもう一つは小林道夫×寺西一巳。
このデュオのライブはこれで3回目かなあ。主催の方がメールをくれるので聴き逃すことなく有り難い。
カリンニコフその他を聴いた後のバッハ。バッハとそれ以外の作曲家主としてベートーベン以降との決定的な違いは何だろう→閃いたのはベートーベン以降は自己表現→煩悩を描く音楽。対してバッハは煩悩を超える音楽。
19世紀の作曲家と根本的に異なるのは、自分の作品や名声をのこすというものではなく、もっと抽象的なものだった。結局バッハにとっては、対位法的なエッセンスとか和声や旋律など、音楽にどうしても必要な要素、音楽における原理、つまり美しいものを求める原理は、自分の存在とは別に存在するとバッハは考えていた。自分はこう書けるということではなく、その美しさのエッセンスというのはこういうものだ、物理的にこういう動きだから美しいんだという、いわば森羅万象を司る原理が重要だった。
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2019/05/18/045812
バッハにとって音楽は自己表現手段てはあり得ない。神の摂理の発見がバッハの音楽、だからバッハの音楽は煩悩を超えている。そんなことを思いながらグールド ×ラレードを聴いた深夜未明であった。
フーガの技法漫然謹聴
ヴァルヒャ12枚組では積み残したフーガの技法BWV1080。まずはこれまで通りに漫然謹聴してみようとまずはグールド 。
あれえ、オルガン演奏ばっかりじゃん。確か最初4曲ほどはオルガン、後はピアノだったけどなあ、とSpotify探したが見つからず。そこで次はエマーソンQ。
これはある程度楽しめた、4声聴き分けがもっともっと出来るといいのになあと聴いてるうちに寝落ち。昨夜も節酒→缶ビール1本で我慢のためか眠りが浅かった所為。
そこでリフシッツ。
丁寧な演奏だが、曲の本来の特性がもろに出て色気も素っ気も無い。30分程聴いて放棄。そもそも、コントラプンクトゥスって何やねん?
コントラプンクトゥスは対位法と言う意味らしい。途中15分休憩で2時間。近くの女性が休憩のときに「苦行のようだね!」って言ってたけれど、確かに耳に心地よい音楽などではなく、
http://combray.blog.fc2.com/blog-entry-8.html
解説書なりネット記事なりで理論武装した上でフーガの技法、解読することにした。バッハの音楽は瞑想、苦行の世界でもある。