カンチェリ「風は泣いている」
先週のFM現代の音楽で西村朗が「スピリチュアルな感動、魂の真実の音楽」などとべた褒めした曲。その言葉に踊らされてSpotify検索したらバシュメット演奏があった。
現代曲だが映画音楽的雰囲気、情緒があるのでそんなに聴き辛くはないが、意識集中を要するので草臥れる。
グルジア(ジョージア)出身で、現在はベルギー在住の作曲家、ギヤ・カンチェリ[1935- ]がグルジア時代に書いた交響曲3曲と、代表作として知られる『風は泣いている』を収録。
大音響の爆発的音楽と、抒情的な静かな音楽のどちらも得意とするカンチェリの音楽は、近年人気が出てきていますが、それはどちらかというと抒情美志向のECMなどの録音を通じてのものでした。
ヴィオラ・ソロにバシュメットが登場するカンチェリの代表作、ヴィオラと管弦楽の為の典礼『風は泣いている』は、独特のひんやりとした美しさとベートーヴェンなどの引用が印象的な作品。
http://books.rakuten.co.jp/rb/13155459/
ベートーベンの引用は気づかなかったが、魂の呼吸は聞こえてきたような気がする。音楽はおのが心の反映、何度か聴いて我が心のありようを探ることにする。
真珠のような音楽
クラシック音楽館で大層気に入ったエカ・ペッカ・サロネン、当然にシベリウスがあるだろうとSpotify探したが残念ながら無し。仕方ないから今朝はサロネンのマラ6、しょうがない感が影響したのかイマイチ、真摯演奏ではあるが、曲がいかんせん悪い、マーラーはやっぱり2番3番9番、大地の歌かあと思いつつ、壮大で汚い音を終楽章まで聴いた。
終わって今朝の締めくくり毎日内田光子モーツァルトソナタ10番ハ長調KV330、真珠のように聞こえた。
明るく清らかな音にふっとさす影、単純な形式美が今マイブームだ。このモーツァルトを聴かせてくれるためにマーラーは悲劇的を書いたんだなあとまで思った。
音楽は結局、自分の心の影。壮大なヒロイズムロマンチシズムに酔いたかったあの頃はマーラー、残り時間がそろそろ見えてくる今はモーツァルト。音楽を聴くというは自己を学ぶことなり。
写真で顧みる昨日
momentoを使った日記
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2017/07/31/045900
が長続きしている。毎日の習慣化したと言っていいだろう。
これのいいところはツィートやブログ更には日記に書いた記事の写真をまとめてくれることだ。例えば昨日の写真
川瀬賢太郎ヴェルレクをP席で眺めるのが楽しみ
クラシック音楽館→エカ・ペッカ・サロネンが大層気に入った。音が生きている。
日曜美術館→アラーキー写狂老人Aが卑俗卑猥
「48時間」エディ・マーフィーあんまり面白くなかったけど最後まで見た。
てな具合に昨日を顧みることができるのだ。だからどうした、何がええねんなんて言わないでね。
川瀬賢太郎京響ヴェルレク
先日、いずみホール オルガンを聴きに行った帰り、ロビーにあった関西音楽新聞、翌朝眺めてみるとヴェルレクを京響が実演するではないか。ヴェルレクと復活のライブは何はさておき聴きに行くと早速空きチェック→P席僅少、まさに2席しか空いてなかったGET。
そこで今朝はリマインド予習→このスペクタクルはやっぱり濃厚流麗なカラヤンだなぁ。
ミレッラ・フレーニ(S)
クリスタ・ルートヴィヒ(M)
カルロ・コッスッタ(T)
ニコライ・ギャウロフ(B)
ウィーン楽友協会合唱団
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
録音:1972年1月 ベルリン、イエス・キリスト教会[ステレオ]
コッスッタなるテノール、知らなかったが素直かつ哀調あり。
8/13京響定期1430開演
■助成:文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)
2017 5/20から発売
S:¥5,000(残席わずか!)
A:¥4,500(残席わずか!)
B:¥3,500
P:売切
京都コンサートホール・大ホール
川瀬 賢太郎(指揮)
小川 里美(ソプラノ)
福原 寿美枝(メゾソプラノ)
藤田 卓也(テノール)
妻屋 秀和(バス)
京響コーラス
P席で指揮者の顔を見ながらヴェルレク、楽しみだ。一般道往復6時間かけての京都行き、暇つぶしのみが人生なり。
音楽マインドフルネス
熱さましのおかげで熱も下がり、熱中症から回復中。でもまだ、喉が渇く、そこでトイレに行っては水分補給しながら今朝は聴楽。内田光子モーツァルトソナタ7番とショスタコ×カガン、バシュメット、リヒテル。
今朝は音楽マインドフルネスなる聴き方を編み出して聴楽。マインドフルネスとは
「今やっていることにものすごく集中して、いつものことをいつも以上に感じ取ること」
http://healthcare110.com/mindfulness/
例えば呼吸に集中、また歩行やなんでもいいから「今ここ」に集中すること。雑念に囚われないようにしてストレスからの解放を目指す。
これを音楽に応用してみた。音楽の形式=旋律・和音・リズムにのみ着目、内容=意味については全く考えない。作曲家の意図や演奏者の気持ちなんかも無関係とする。要するに音楽を無意味無思想無感情に聴くこと。
とはいえ、雑念が浮かぶ。でも、その雑念を客観視する、囚われないように努める。
モーツァルトは比較的簡単、もともと無内容な音楽だから←と思おう。ショスタコはちょっと難しい、だが、余計に効果的かも。
まあ、出来たかどうか判らんが要するに雑念封じのための策。雑念ばかりが人生なのだから。
夏風邪や感度抜群誇りをり
今朝は音楽聴く気がせず寝床で転々、食欲あまりなし、それでもいつも通りに朝食。
朝刊読んでジムに行く時間待ちつつテレビ茫然。熱を測っみたら7度2分→ああ、これで夏風邪決定→昨日、血圧を診てもらったばかりの医院へ。
思うに先日の風邪がまだ治りきっていないのではないか。今回は熱さましを処方してもらってテレビっ子とする。
体調不良をきちんと自覚できる我が感度良好に感謝。感動まではせぬが。