天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

生きる意味は希望

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どうも俺は自己催眠に陥りやすいみたいだ。というのも昨日、「信仰とは希望を失わないことだ」なる思いつき
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2017/10/18/052500
に到ったことでバッハ 教会カンタータの味わい方を発見出来たと思い込んでしもうたのだ。今朝の第57番『幸いなるかな、試練を耐え忍ぶ者は』BWV57を例にとって説明しよう。

このカンタータに、イエスが私を愛してくれなかったらどうしようと悲嘆にくれるソプラノにイエスが語りかける二重唱がある。

(バス=イエス)
私のふところには安息と命がある、
やがてこれは永遠にお前のものだ。
(ソプラノ=魂)
ああ、イエスよ、今すぐにでもおそばに
いられたら!ああ、天の風が
墓穴と墓石の上を、今、吹き渡るなら、
どんな苦難にも私は打ち勝つでしょうに。
幸いな人です、棺の中で
天使の軍勢を待ち望む人たちは。
ああ、イエスよ、どうか私にも
ステファノのように天を開いて下さい。
私の心は、すでに、あなたのもとに昇りゆく
準備ができています。
来たれ、来たれ、満ち足りた時よ、
お前は私に墓穴と墓石を示し、
そこで私のイエスと会わせてくれるでしょう。
http://okimideiko.blog.fc2.com/blog-entry-1172.html

二千年前に生きたイエスと魂の対話なんてアホくさーと若干嫌気がさすような歌詞だが、これをイエス=希望と読み替えて、神の子イエスがこの世に現れたことこそ希望の根源的理由、イエスを信じることは希望を信じることと思えばアホらしさも相当無くなる。

つまり、どんな時にも死の間際にも私は希望を失わない宣言と読むのだ→おお、そうか、俺の短歌旧作

エロスより出でてエロスに環り来む意味を求めてめぐりし後に

エロス=希望と読み替えればいいのだ。希望こそ生きる理由=意味であった。