天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

固有×下品→普遍×上品

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今朝はバッハ→モーツァルト基本パターン聴楽。バッハ=ポリフォニーの後、モーツァルトで複雑化した脳をほぐそうというパターン。
モーツァルトVnソナタ40番変ロ長調KV454を聴いてて思った。バッハと違いモーツァルトにはふっと影や光がさしたりする。バッハのゴリゴリ形式美ではなく人間的形式美とも言えようか。

これはつまり、モーツァルトの形式美に込められた感情表現は喜怒哀楽を直接具体的なものではなく、もっと抽象度を上げた感情表現と理解するべきということ。そしてバッハは更に抽象的な感情表現→形式美ではなかろうか。逆に言うとバッハ→モーツァルト→ロマン派(元祖ベートーベン)と時代をくだる程に形式美=感情表現が直接具体的になったということだ。

音楽=ヒロイズム+ロマンチシズム+形式美+祝祭性+ドラマ性
ヒロイズムにもロマンチシズムにも飽きて俺はバッハに辿り着いた。そしてバッハから振り返るとそこにモーツァルト。両者ともに抽象的感情表現→形式美音楽。一言で言えば下品から上品に音楽志向が変わったことになる。

わかりやすいから下品上品なる言葉を使っているだけで、決してベートーベンが嫌いになった訳ではない。彼の後期弦四は人類最高の音楽だ、下品上品は感情表現が直接的か具体的かの程度を示す言葉にすぎない。

人は固有→具体的な家族、環境の下で生まれる。そして嫌なことがあったらぎゃあぎゃあと泣き叫ぶことしか赤子はまだ知らない。感情表現が直接的なのだ。
そして人は成長し、普遍性←例えば真善美を知る。感情表現も直接的なものから示唆的抽象的な方が効果的な場合があることを経験する。

つまり、人間の成長の道筋は固有×下品→普遍×上品ということだ。普遍×上品の果てが祈り、ああ、俺は上品に死ねるだろうか、バッハ様。

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