天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

ショスタコーヴィチの思い出に

昨日は高校同窓会古希記念。二次会カラオケには行かずまっすぐ帰宅、ダメ虎録画を観ながら缶ビール一本ぐらいは飲んだのだろう、早く寝てしもたから今朝は真夜目覚め。N響ライブ録音を紐解いた。


N響第1911回定期公演  
大林奈津子
【解説】一柳富美子


「バイオリン協奏曲第1番 イ短調 作品77」  
ショスタコーヴィチ作曲
(36分18秒)
管弦楽NHK交響楽団
(指揮)下野竜也
(バイオリン)ワディム・グルズマン


交響曲第12番 作品114  
ショスタコーヴィチの思い出に」」ヴァインベルク作曲
(58分37秒)
管弦楽NHK交響楽団
(指揮)下野竜也


~東京・サントリーホールから中継~  


ショスタコーヴィチの思い出のための前奏曲シュニトケ作曲
(5分24秒)
(第1、第2バイオリン)ギドン・クレーメル
<ビクター VICC-2080>


ヴァインベルク交12を聴くのは初めて。解説でユダヤ人ヴァインベルク親族の悲惨な死やショスタコーヴィチとの親交が唯一の生きる絆だったと知る。交12はショスタコーヴィチの死の翌年1976年の作品。その長太さをかなり持て余したがとにかく最後まで謹聴。先日アマプラで見た映画ミハルコフ「遥かなる勝利へ」に出て来たスターリンの凄味を思い出したりした。


思い出といえば昨日の同窓会に卒業アルバムを持って来てくれた人がいてお陰で52年前の俺に巡り合えた。

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これが俺かよおとうなってしまう写真。クラシック音楽に開眼したのは高校時代、ショスタコーヴィチ交響曲5番。ショスタコの音楽の二重性→体制従属と反スターリンなんか思いもよらずブラボー社会主義と聴いていた。
そして初恋の人。去年の同窓会で誰かに彼女に声かけくれと頼んだのだが、やっぱり来てなかった。幹事に聞いたら今まで同窓会に出た事は無いが電話番号を知っているとのこと。教えてくれと頼んだ。
ショスタコーヴィチと初恋、それが我が高校時代だ。ショスタコーヴィチは思い出の音楽、そしてバッハは未来→どんな老後でも死でも受け入れるための音楽。さてゴルトベルクでも聴こう。
 

奈良、国立博物館と基督教会

茶器に全く興味は無いのだが、朝日メイト会員証
年会費1,680円でご利用可能、
毎月さまざまな特典をご用意しています。
http://sp.asahimate-osaka.com/
を見せれば入場無料になるのて奈良で茶碗を見て来た。

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藤田美術館大阪市都島区)が所蔵する名品を一堂に公開する特別展「国宝の殿堂 藤田美術館展 曜変天目茶碗(ようへんてんもくちゃわん)と仏教美術のきらめき」が、奈良国立博物館奈良市)で開かれている。世界に3つしか現存しないとされる名碗の一つ、「曜変天目茶碗」(中国・南宋)など国宝、重要文化財を含む計128件が展示されている。6月9日まで。
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.sankei.com/west/amp/190424/wst1904240009-a.html%3Fusqp%3Dmq331AQQCAEoAZgBmN7AhfGKzdnVAQ%253D%253D
最前列で見られるという行列に小一時間並んで有り難みを感じる。
博物館のカフェで昼、仏像館も眺めて若草山近くへ散策→時間を潰して奈良基督教会へ。

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惑星→ジュピターを聴いて駐車場1500円に戻り一万五千歩。連休らしい一日を過ごした毎日が日曜日であった。

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多分完全なバッハ作品リストに遭遇

アラール全鍵盤第2弾→暁の星いと美しきかなbwv.739を聴きながらぐちゃぐちゃ検索していたらバッハ作品リストに出会ったのでエバーノートに取り込んだ。

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曲種別目次
管弦楽曲 協奏曲 室内楽曲 クラヴィア曲 クラヴィア曲(編曲) オルガン曲 オルガン曲(編曲)
オルガン曲(コラール前奏曲) オルガン曲(コラール変奏曲) 特殊な器楽作品(楽器指定なし)
リュート曲 受難曲 オラトリオ 教会カンタータ 世俗カンタータ その他の教会音楽 モテット
コラール 合唱曲 独唱曲
http://rosette-nebula.boy.jp/ws2010/bach/bach.htm#org3
曲種別目次が付いているので引きやすい。これからもお世話になりそうだ。
さて、今朝の日記BGMは20190423クラシックカフェ→スラブ行進曲

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ソ連もロシアも国としては好きくないがロシア音楽はいい。チャイコフスキークラシック音楽導きの星だった。このカフェ録音、数ヶ月後には車で聴く。NHK FMクラシック全録音しているが差は開くばかり。
 

アラール全鍵盤第2弾に着手

小糸恵5枚組をやっつけたのでアラール第2弾に着手。

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本格派の鬼才バンジャマン・アラール
華麗なるテクニックとストイックさ
バッハの鍵盤のための作品全集第2弾!
若きバッハの鍵盤音楽の礎となった先人たちの音楽も収録
「北へ」と題した当第2弾では、15歳で兄のもとを離れて北ドイツのリューネブルクに向かったバッハが、ゲオルク・ベームやラインケンのオルガン演奏および音楽に出会い、さらに20歳の頃にはリューベックの地でブクステフーデに傾倒した時期の、バッハの作品および、バッハの先達たちの作品群がプログラムされています。
https://www.hmv.co.jp/news/article/1902191010/
四枚組の一枚目に着手。


Disc1:リューベック
1. ブクステフーデ:「今ぞ喜べ、愛するキリストのともがらよ」 BuxWV 210
2. J.S.バッハ:「主キリスト、神のひとり子よ」BWV Anh.55
3. J.S.バッハ:「輝く曙の明星のいと美わしきかな」BWV 739
4. パッヘルベル:フーガ ロ短調
5. J.S.バッハ:コラール「ああ主よ、哀れなる罪人われを」BWV 742
6. J.S.バッハ:フーガ ロ短調コレッリの主題による)BWV 579
7. J.S.バッハ:コラール「キリストは死の縄目につながれたり」 BWV 718
8. J.S.バッハ:フーガ ト長調 BWV 577
9. J.S.バッハ:パルティータ「おお神よ、汝義なる神よ」BWV 767
10. J.S.バッハ:プレリュードとフーガ ホ長調 BWV 566


 バンジャマン・アラール
 オルガン/Freytag-Tricoteaux (2001) d’apres Arp Schnitger, eglise Saint-Vaast de Bethune)
二曲目までを聴いた→ブクステフーデとバッハ。ブクステフーデとバッハの違いをどの程度聞き取れているか甚だ不安だがバッハの方が精緻体系化された音楽だとしておこう。
ところで二曲目→「主キリスト、神のひとり子よ」BWV Anh.55のAnhを疑問に思って検索。


先日、「モテット《全地よ、主に向かって喜びの声をあげよ》BWV Anh.160」という曲目中の Anh. って何?と質問されました。Anh. は Anhang の略。英語なら appendix。補遺、付録という意味です。いったい何のおまけ?
作品の中には、帰属がはっきりしないものもあります。シュミーダーは、疑作や断片、楽譜が失われた作品、誤ってバッハ作とされた他人の作品などを Anhang 補遺に整理しました。有名(?!)な例が、BWV Anh.114のメヌエット ト長調。『アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集』に記入され、バッハのメヌエットとして親しまれてきた「レーソラシドレーソッソ」ですが、1979年になって、バッハの友人でドレスデンオルガニストであったクリスティアン・ペッツォルト(1677〜1733)の作と判明。
https://www.hmv.co.jp/news/article/1902191010/
なるほどそういうことかと作品番号Anhの曲はPL作成しないことにして、今はクラシックカフェ録音viaラジクール→ニルセン交響曲3番「広がり」を聴いている。未明早朝はSpotifyバッハ、昼間はラジクールFM録音ついでにテレビ録画ダメ虎の毎日が有り難きかな。

下心→バッハ→真心

小糸恵5枚組5枚目終了→仕上げの整理体操。

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気になった曲の聴き比べPL作成して、今朝はそれを謹聴。最も聞き応えがあったのはアダージョとフーガBWV1001+539。

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無伴奏V nソナタ1番からアダージョとフーガを小糸恵がオルガンで演奏している。

オルガンよりもみどりV nに痺れる。弓一本がパイプ数千本フーガを凌駕する悦楽を感じた。
その他にはグールドBWV902。オルガンの響きには荘厳味がまとわりつかざるを得ないが、グールドのピアノはポリフォニーを透明軽快に聴かせてくれる。
さて次はアラール全鍵盤曲プロジェクト第2弾。これもPL作成して愉しむ、Spotifyならではの愉悦だ。


ところで屁理屈→音楽方程式。
音楽=ヒロイズム+ロマンチシズム+祈り+祝祭+ドラマ
これでショスタコマーラーもベートーベンもバッハも割り切れると思っていたが、バルトーク=実存的不安をどこかに嵌め込まねばならんなあ。
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2018/06/28/060526
バッハを聴きながら「祈る」のではなく、ここは「内省」とするのが正しいと思い至った。
音楽=ヒロイズム+ロマンチシズム+内省+祝祭+ドラマ
池袋で元通産官僚87歳が惹起した惨事。便利で楽な生活を追求するのは良いとしても身の程を忘れてはならない。バッハを聴く事は自己内省すること。自分の愚かさに向き合うこと。それが内省だと考えつつ今日も運転するのだが。


我が愚かなる下心を乗り越えていつか真心へ、主よ。


エスに「明日を思い患うな」なる言葉があるが、下心は「明日のために今日を生きる心」、真心は「今、ここをひたすらに生きる心」と言えるかもしれない。
とすれば我が得意の人生方程式に当てはめると
人生=下心(損得、好き嫌い、善悪、理非)+真心(苦楽、美醜、虚実)
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2018/10/03/051233
 

モーツァルトの聴き方

片山杜秀「クラシックの核心」→今日はモーツァルト、その音楽の聴き方開眼した気分。

 

モーツァルトについては、現代が起承転結や脈絡を失い、われわれが刹那的になればなるほどモーツァルトはリアリティを持って迫ってくるとし、20世紀に新たに発見しなおされた作曲家であるといいます。

http://www.yasojimalaw.jp/blog/entry/238/

 

モーツァルトにベートーベンの起承転結、因果関係を求めてはならない。また、バッハのような精緻な体系もそこには無い。あるのは、うつろいゆく儚さ、刹那だけだ。

なるほど。だから俺はモーツァルトにすぐ飽きてしまうんや。過去は過ぎ去りしもの、未来は未だ来たらぬこと、あるのは今ここだけ、刹那を味わえ。

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蛙の歌の喜び

久しぶりに図書館本読書→片山杜秀「クラシックの核心」

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バッハはドイツの東の方の教会や宮廷で、オペラを頼まれるような環境もないところで仕事を続けたせいで、そんな時代から取り残されてしまったのでしょう。前時代の課題に黙々と取り組み続け、ほかの作曲家が興味を失いつつあったフーガやカノンをマンモスのように発展させてしまった。《音楽の捧げ物》が《フーガの技法》ができてしまった。バッハはとても反時代的な巨匠だったのです。だからブルジョワのわがままがまかり通ってみんなで一緒にということが後景に引っ込んだ時代には忘れ去られてしまいました。メンデルスゾーンが引っ張り出して、以後は偉い人になったけれど、ほんとうに大勢がバッハを愛するようになったのは20世紀以後ではないでしょうか。平等や民主や均衡が大切だということになった時代にこそ、バッハは相応しいのです。
http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/touch/20170921/1505974739


バッハの音楽は教会でみんな一緒に歌ったり聞いたりする音楽。そしてカノンやフーガには主旋律vs伴奏なる構造はなく、どの声部もみな平等。ところが啓蒙主義フランス革命は個の追求、感情表現、更にはヒロイズム、ロマンチシズムを音楽にしてしまった。
そして革命と戦争の20世紀を経てバッハは甦った。英雄も魂も不要、蛙の歌を教室で輪唱したのを思い出そう。ああ、あれはバッハの喜びだったのだ。