天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

ビデオオンデマンド移行準備ほぼ完了

f:id:doyoubi92724169:20170607054905p:image昨日、映画「シャイン」を観終えてちょうどジムに行く時刻10時少し前。しかし赤目四十八滝→長坂山ハイクの太腿疲れ痛みを口実に、HULUお試し消化するべくテレビっ子。

つまらぬ映画を何本も途中放棄→結局、最後まで観終えたのは「セッション」。

物語は、主人公アンドリュー・ニーマンがドラムを叩くシーンから始まる。彼は名門音楽大学に通う学生で、将来偉大な音楽家になる事を目指して練習に励む。そこに現れたのが指揮者であり教官のテレンス・フレッチャー。大きな声で厳しく彼の演奏にダメ出しをする。
http://blog.goo.ne.jp/yukks453145/e/8563348d2301f2caad601c8d2ee4c5aa

音楽映画がやっぱり俺には一番と再認識させてくれた名画だった。この映画を観終えた後はダメ虎録画追っかけ観戦→今日は負けかと早回ししていたら大逆転、気持ちよく就寝→今朝はバッハクライス神戸カンタータBGM予習×ジャストウォッチ。

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このアプリ、視聴リスト機能があるので観終えた乃至途中放棄映画をリスト登録することにした。観たい映画リストも作ったしビデオオンデマンドへの移行準備ほぼ完了だ。

マタイ予習カラヤン

f:id:doyoubi92724169:20170606060241j:image性懲りもなくマタイ予習カラヤン綺羅星のごとく大歌手が並ぶ録音。

ペーター・シュライアー
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
グンドゥラ・ヤノヴィッツ
クリスタ・ルートヴィヒ
ホルスト・ラウベンタール
ヴァルター・ベリー 
アントン・ディアコフ
ウィーン楽友協会合唱団
ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団
ベルリン国立合唱団少年団員
ベルリン大聖堂聖歌隊少年団員
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
録音:1972-73年[ステレオ]

草臥れながら聴いたので古楽マタイの方がすっきり爽やかなどと思う。25日ライブまでまだ時間があるので、あと何回か予習するだろう。噛めば噛むほど味良きスルメかな。

快楽は他力が運んでくれる

昨日は何十年ぶりかで赤目四十八滝、現地に着いたらたまたまハイクツアーがあったので参加申し込み→四十八滝を半分ぐらい遡って長坂山登山。
584米の山なのにこれが結構キツイ登り、単独行では途中で引き返していたろうハイクだった。登頂出来たのはご縁他力ツアーのお陰→快楽は他力が持って来てくれる。

19時過ぎ帰宅→デイゲーム日ハム戦ビデオ観戦←野球も相撲も俺は時間節約、全て録画で楽しむのだ。

途中、何度も今日は負けかなあと早回ししたのに最後は苦労人岡崎が連夜のヒーロー。

番号57は気合を入れた。日本ハム8番手エスコバーを相手にファウルで粘り、フルカウントに。そして13球目。打球は三塁手のグラブをかすめ、レフト線に抜けていった。打った瞬間に右拳を一塁側ベンチに向けて突き上げ、勝利の味をかみしめていた。
https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/1835032_m.html?mode=all

わっははと喜んで就寝→目覚めた今朝は第38番『深き悩みの淵から、私はあなたを呼びます』BWV38復習。今は一瞬の煌めき→モーツァルト、これも他力が運んでくれた快楽。

人生=自力(損得、好き嫌い、善悪、理非)+他力(苦楽、美醜、虚実)
世俗は自力で利他をモットーとして暮らす。
魂はキリストや仏陀を鏡として他力本願、利己を生きる。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/137526/133272/96754772

人生に意味は無いけれど敢えて意味付けるならば快楽を尽くすこと。そして快楽は自力ではない、他力が運んでくれるのだ。それがご縁ということだ。f:id:doyoubi92724169:20170605052833j:image

ライブ=今ここだけが真実

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今年買ったシャープテレビAQUOSのリモコンにNetflixボタンが付いているのがずっと気になっていた。ようやく一昨日思い立ってボタン押下→お試し開始→「グレングールド
天才ピアニストの愛と孤独」鑑賞。
そして昨日はアカデミー受賞映画「シャイン」のピアニスト、ヘルフゴットのドキュメンタリー『Hello I Am David!』
http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/13537
を楽しんだ。

ところが、ネットフリックスには肝心の「シャイン」が無い。そこでフールーをお試し←AQUOSにはフールーボタンが無いのでアップルテレビを起動して観るという些か面倒を施した。
フールーの方がネットフリックスよりも圧倒的に品数が多いという世評だが、検索してみると「人間の條件」など、もう卒業してしまった旧作が品数に反映されているようだ。そのくせ「グレンミラー物語」のような名作は無いんだなあ。

そこで決断→長年世話になったWOWOWを今月限り、ネットフリックスに乗り換えることにした。オペラは見飽きたのでWOWOW廃棄。
音楽はアップルミュージック、映像はネトフリのオンデマンドライフということだ。

ところでヘルフゴットの演奏、アップルミュージックで見つけた音源、ドキュメンタリーでは断片的不連続でしか流れなかったラフマニノフPコン3番を全曲通して聴けたが、映像が無い分インパクトが薄まる。彼の天衣無縫演奏がかなり常識的に聞こえた。音楽のほんとうはライブで演奏者の姿、仕草表現表情オーラに接してこそと再認識した次第。

人生=事実+物語
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2017/04/03/065804
人間のほんとうも事実と物語の間を揺れるもの。ライブ=今ここだけが真実なり。

自力の果ての他力への憧れ

来週はメジューエワ京都ライブ→ベートーベン後期三大Pソナタ。ベートーベンの最後のソナタ三曲を一度に聴けるのでチケット購入。そこで露リマインド予習。

op109ホ長調→だいぶ以前にPゼルキンをテレビで聴いたのが後期ソナタとのご縁の始まりだったかも。そこで彼の録音を探して聴き始めたが録音が隔靴掻痒、音が悪い。途中放棄してバックハウス、これが意外と面白い、結構主観的暴走感あり。次いでバレンボイム、大家的バランス感覚重厚安定感あり。

op110変イ長調バレンボイムを聴いた後で若かりしメジューエワ、昨日も聴いたのだがバレンボイムの後でも素晴らしい、煌めきがある。1998年の録音、その後の成熟→ライブ楽しみ。

op111ハ短調バレンボイム、op111はエッセイ風ではなくしっかりした構成小説風。ベートーベンが到達した境地を聴く思い。自力の果ての他力への憧れ→諦観というべきか。後期弦四も同様諦観を感じ、我が一生モノの音楽だ。

ここまで書いてネットでライブ曲目確認したら27番も演奏するじゃん→グールドのヘンテコ三大ソナタ演奏と合わせて後日リマインド所存。

グールドと言えば昨日ネットフリックスお試し鑑賞した「グレングールド 天才ピアニストの愛と孤独」が面白かった。グールドの人生俯瞰、そして友人の妻との不倫の恋が切ない。

グレン・グールドの秘めた恋~遺品から見つかった恋文とルーカス・フォス夫人との恋愛
https://plaza.rakuten.co.jp/mamakuncafe/diary/200710030000/
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キリスト教を作ったのは誰か

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マタイ第2部ガーディナー対訳ドイツ語聞き取り訓練終了。こんなこと書くと罰が当たるかもしれないが、リヒターよりも素直でいい。とりわけバスのソロ、リヒターではフィッシャーディスカウがうま過ぎて鼻につく、それがガーディナーにはない。うま過ぎるのは音楽の真実の邪魔ということだ。

それはともかく第2部のテキストを読むと、キリスト教はつくづく裏切りを悔いて神の赦しを乞う宗教だ。ピラトが群衆に赦免するのはどちらだ、イエスバラバかと訊くと群衆は不協和音、大声でバラバと答える。

遠藤周作によると、バラバはユダヤ独立武闘派、イエスは穏健心の天国派、一時の人気も醒めて群衆は独立武闘派にメシアを見たとのこと。いっときの感情で社会の多数派が間違った方向に走るのは今も昔も同じだ。

それにも拘らずイエスは従容と十字架につけられる。それが聖書の預言の実現だからと。
エスの死後、弟子たちはようやく気づく、イエス神の子羊だったと。いや実はイエスを売ったのはユダだけではなく弟子全員だったと遠藤周作は言う。弟子たちはイエスを売ることでユダヤ教体制派と自分たちの安全を取引したのだと。

その象徴的場面がイエスを否認したペテロの号泣。号泣の後の名アリアはライブまでにドイツ語を覚えたいな。

Erbarme dich, mein Gott,
憐れんでください、私の神よ!
un meiner Zähren willen !
私の涙ゆえに、
Schaue hier.
私をご覧ください。
Herz und Auge weint vor dir bitterlich.
心も目もあなたの御前に激しく泣いています。

遠藤周作説に従えば、キリスト教はなんという壮大な虚構なのかと思う。処刑させることでイエスメサイア=キリストに仕立てることまでは意図していなかっただろうが、イエスを裏切った弟子たちの改心回心がキリスト教を作ったのは間違いなかろう。

遠藤周作説については下のリンクを参考にどうぞ。

遠藤さんが疑問に思うのは、なぜ、一部始終を見た弟子が逮捕されなかったのかということです。弟子のペトロ、またはペトロに代表される複数の弟子たちはユダヤ教会と取引し、いわばイエスを売ることで身の安全を得た可能性があることを遠藤さんは指摘しています。

http://historiajaponica.com/2016/07/20/遠藤周作『イエスの生涯』で福音書をもう一歩深/

マタイ→復活→モーツァルト

マタイ受難曲ドイツ語聞き取り訓練していたらマーラー復活を聴きたくなった。イエスの受難物語→死を淡々と語るバッハ。ロマン派だったらこれを壮大華麗な音楽にするだろうなあと思ったらマーラーを聴きたくなったのだ。

そこでマタイ第1部ガーディナーの後はマーラー復活クレンペラー。多分、途中ウトウトしただろう、でも最後はきっちり目覚めて
O glaube, mein Herz, o glaube:
この曲、キリストの復活を歌っているという説が主流みたいだが、俺にはそうはとれない。キリストではなく個々の人間の復活だと思う。死んだらタダのゴミではないよと言ってくれてるのだ。

おお、信じるのだ。我が心よ。信じるのだ・・・
何一つ失われたものはない!
かつて汝の憧れしものは汝のもの、そう、汝のもの!
汝の愛せしもの、汝の戦いしものは汝のもの!
http://d.hatena.ne.jp/wagnerianchan/touch/20110517/1305637122

でも実際、死ぬときにこの曲を聴くのはシラジラしいか、いや、音楽を聴ける状態ではないだろう、多分。

そこでモーツァルトPソナタ全集へブラー。一瞬の煌めきの積み重ね。この歳になってようやくモーツァルトの味がわかったぜ。f:id:doyoubi92724169:20170601060134j:image