キリスト教を作ったのは誰か
マタイ第2部ガーディナー対訳ドイツ語聞き取り訓練終了。こんなこと書くと罰が当たるかもしれないが、リヒターよりも素直でいい。とりわけバスのソロ、リヒターではフィッシャーディスカウがうま過ぎて鼻につく、それがガーディナーにはない。うま過ぎるのは音楽の真実の邪魔ということだ。
それはともかく第2部のテキストを読むと、キリスト教はつくづく裏切りを悔いて神の赦しを乞う宗教だ。ピラトが群衆に赦免するのはどちらだ、イエスかバラバかと訊くと群衆は不協和音、大声でバラバと答える。
遠藤周作によると、バラバはユダヤ独立武闘派、イエスは穏健心の天国派、一時の人気も醒めて群衆は独立武闘派にメシアを見たとのこと。いっときの感情で社会の多数派が間違った方向に走るのは今も昔も同じだ。
それにも拘らずイエスは従容と十字架につけられる。それが聖書の預言の実現だからと。
イエスの死後、弟子たちはようやく気づく、イエスが神の子羊だったと。いや実はイエスを売ったのはユダだけではなく弟子全員だったと遠藤周作は言う。弟子たちはイエスを売ることでユダヤ教体制派と自分たちの安全を取引したのだと。
その象徴的場面がイエスを否認したペテロの号泣。号泣の後の名アリアはライブまでにドイツ語を覚えたいな。
Erbarme dich, mein Gott,
憐れんでください、私の神よ!
un meiner Zähren willen !
私の涙ゆえに、
Schaue hier.
私をご覧ください。
Herz und Auge weint vor dir bitterlich.
心も目もあなたの御前に激しく泣いています。
遠藤周作説に従えば、キリスト教はなんという壮大な虚構なのかと思う。処刑させることでイエスをメサイア=キリストに仕立てることまでは意図していなかっただろうが、イエスを裏切った弟子たちの改心回心がキリスト教を作ったのは間違いなかろう。
遠藤周作説については下のリンクを参考にどうぞ。
遠藤さんが疑問に思うのは、なぜ、一部始終を見た弟子が逮捕されなかったのかということです。弟子のペトロ、またはペトロに代表される複数の弟子たちはユダヤ教会と取引し、いわばイエスを売ることで身の安全を得た可能性があることを遠藤さんは指摘しています。
http://historiajaponica.com/2016/07/20/遠藤周作『イエスの生涯』で福音書をもう一歩深/