今朝もヨハネ、アーノンクール
今朝もヨハネ→アーノンクール1993年録音。
合唱がシェーンベルク合唱団←透明感。
アルトが俺好みのコントラルト←深い。
ただ、こう連日聴いてると些かマンネリ?アーノンクールの気迫をしっかり受け止められなかったかも。最後の合唱、コラールが淡々と終わったような気がした。リヒターはクレッシェンド→盛り上げていた。
昨日も書いたけどバッハは私たち、ロマン派は私の音楽。昂揚感を求めてはいけない。静かに頭を垂れてイエスと人の死を思うべきなのだろう。
ニコラウス・アーノンクール 指揮
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
アルノルト・シェーンベルク合唱団
キリスト:ロベルト・ホル(Bs)
福音書記者、アリア:アンソニー・ロルフ=ジョンソン(T)
ソプラノのアリア、門番:アンジェラ=マリア・ブラージ(S)
アリア:マルヤナ・リボウシェク(コントラルト)
下役、僕:フランツ・ライトナー(T)
バスのアリアとペトロ、ピラト:アントン・シャリンガー(Bs)
(1993年10,11月 ウィーン,カジノツェーゲルニッツ 録音 TELDEC)
土曜日に夙川教会の硬い椅子でライブ鑑賞予定。夙川教会はクリスマスオラトリオ以来、2回目。
http://music-kansai.net/orch06.html
ヨハネ受難曲とマーラー復活
土曜日のライブに向けてヨハネ受難曲リマインド並びに聴き比べ→今朝は昨日見つけたガーディナー。
リヒターの気迫、BCJの静謐と敢えてレッテルを貼るとガーディナーはロマンになるのかなあ。アマゾンのレビューを見るとテンポが速いとあったが全然気づかず。じっくり聴かせてくれた。通奏低音がチェンバロではなくリュートというのがまた違った風味。
ところで運転BGMでFM録音メータ×ウィーンフィル復活マーラーを切れぎれに聴いていたのだが、復活は私の音楽、受難曲は私たちの音楽とレッテルを貼れる。
復活を聴くと昂揚感、もっと言うとアジテートされているのが心地よい。受難曲はその正反対→いつか無くなる私。その手本を示してくれたのがイエス。なにせ「成し遂げられた」が最期の言葉なのだから。
復活好きやねん、死ぬのは嫌い。そして、バッハは覚悟の練習。
アントニー・ロルフ・ジョンソン(福音史家、テノール)
スティーヴン・ヴァーコー(イエス、バス)
コルネリウス・ハウプトマン(アリア/ピラト、バス)
モンテヴェルディ合唱団
ソリスト:
ナンシー・アージェンタ、ルース・ホールトン(ソプラノ)
マイケル・チャンス(カウンターテノール)
ニール・アーチャー、ルーフス・ミュラー(テノール)
ギリアン・ロス(下女、ソプラノ)
アンドリュー・マーガットロイド、ニコラス・ロバートソン(下僕、テノール)
サイモン・バーチャル(ペテロ、バス)
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
ソリスト:リサ・ベズノシューク、ガイ・ウィリアムズ(フルート)
アントニー・ロブソン、ヴァレリー・ダーク(オーボエ)
リチャード・エール(オーボエ・ダ・カッチャ)
ロイ・グッドマン、パヴロ・ベズノシューク(ヴィオラ・ダ・モーレ)
リチャード・キャンベル(ヴィオラ・ダ・ガンパ)
通奏低音:
ティモシー・メイソン(チェロ)
ヴァレリー・ボートライト(コントラバス)
ヤーコブ・リンドベルイ(リュート)
アラステア・ロス、ポール・ニコルソン(オルガン)
オリジナル楽器による
指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー
録音:1986年3月 ロンドン
カンタータ1日一曲
カンタータBCJ巻14→BWV48私はみじめな人間を聴き始めたけど、第1曲合唱曲がプッツン途切れて第2曲に飛んでしまう。
しゃあないなあと残りを聴いたけど、いつもお世話になっている解説記事を読むと第1曲は大切な様子。
そこで「BWV48」アップルミュージック検索→ガーディナー盤発見。これが俺好みのロマンチック=あはれ演奏。別の言い方をすればBCJは抑制された表現落ち着いた演奏となる。
ガーディナーによるカンタータ全集もあるようなのでアップルミュージックのアーティスト=ガーディナー アルバムを舐めたら全集は揃ってない、残念。
しかしまあ、BCJ全集勉強しつつ他のアーティストの演奏も聴き比べすることにした。カンタータの神を賛美する同じような歌詞に食傷気味もあるのでカンタータ1日一曲。大切な食べ物はじっくり味わうようにしよう。まだまだ人生、長い筈だ。
今週末ライブに向けてヨハネ リマインドvia BCJ
今週末ライブに向けてヨハネ リマインドviaBCJ。
『ヨハネ受難曲』 BWV.245(1749年第4版)
ゲルト・テュルク(T:福音史家)
浦野智行(B:イエス)
イングリット・シュミットヒューゼン(S)米良美一(C-T)
桜田亮(T)
ペーター・コーイ(B)
録音:1998年4月、神戸松蔭女子学院大学チャペル[デジタル]
第4稿とは
通常版と第4稿の大きな違いは、いくつかのアリアの歌詞が変更されているのと、通奏低音にチェンバロが加わっていることだ。ほぼ全編にわたってチェンバロが演奏されることで、全体としての何とも言えない独特な一体感が強調されているように思う。
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/review/B00005I32L/R24H6RJD2YTVX4/ref=cm_cr_dp_mb_rvw_1?ie=UTF8&cursor=1
たしかにチェンバロが効果的。静謐な悲しみを支えている。先日リヒターを聴いた時は、その少し前にマタイ×リヒターを聴いていたのでマタイとの比較に頭が行きがちだったが、今日はマタイ頭減少→静謐なヨハネはBCJの方が合ってるように感じた。
日々生まれては死ぬ私の身体←細胞、思い出だけが人生だけど、思いは日々、否、刻々無常なり。
神は何処に居るのか
カンタータBCJ巻12復習→第21番『わがうちに憂い満ちし時』BWV21(ライプツィヒ版)。
オルガンいずみホール予習←この演奏会のタイトルは
バッハ・オルガン作品全曲演奏会
Vol.10 罪の深淵、救いの慰め
ああ、草臥れた。憂いや罪や救いはもう要らないという思いで、グールドに帰って来た。グールドの神は何処に居るのだろう?天上から人間を見下ろしてはいない。楽譜の中に、おたまじゃくしの一つひとつが神かもしれないなあ。
そこで我がツィートを検索。
本田哲郎は釜ヶ崎で日雇い労務者に怖る恐る毛布を手渡した時に「兄ちゃんすまんな、おおきに」と言われて初めて福音の喜び、癒しに接した思いがしたそうな。アニュスデイ=神の小羊キリストは無力な小さき者と共にあり。
本田哲郎神父~釜ヶ崎で福音を生きる~
http://ameblo.jp/jamannzu/entry-12069255775.html
上の記事は画面が見づらい。下の記事、長文だが見やすいので、出来ればこちらをどうぞ。
本田哲郎の著書を読んでる筈なのに何にも覚えていない、神よ憐れみたまえ。
オルガンや旅路の果ての春の川
富田一樹凱旋コンサートの予習を始めた。このコンサートは
2016年7月、ドイツ・ライプツィヒで開催されたバッハ国際コンクールのオルガン部門にて、冨田一樹が日本人初の第1位を受賞した。大阪出身の冨田は、学生時代よりいずみホールのオルガンを演奏し、ホール主催のマスタークラスにも参加してきた。ホールのオルガンと共に自身の音楽経験を育んできた彼の快挙を祝して、凱旋コンサートをお贈りしたい。
http://www.izumihall.jp/schedule/concert.html?cid=1405
というもので、コンクール後、テレビで彼のドキュメンタリー→「プロとしてやっていけるか、食えるか」悩みを知って応援しなくちゃ→チケット購入したものだ。。
アラン、ヴァルヒャ、フォクルールなどの全集からBWVを頼りに曲を見つけプレイリスト作成←少々面倒だが出来てしまえばこちらのもの、ほんにアップルミュージック様々である。
こうした作業、聴楽を通してバッハ=小川に馴染んでゆく。フーガは堅牢な建造物、コラールは流れ行く川。バッハとアップルミュージックは生涯の友だ。
オルガンや旅路の果ての春の川