我が心の良くて 完結篇
幸代の日記
あの頃は若かったなあ、ウチも。勉強もスポーツもできる利一に単純に憧れてラブレター出してもた。今思うと、目から火が出るほど恥ずかしいし、いや、腹が立つほど悔しいわ。なんであんなんを好きになってもたんや。損得と好き嫌いしか考えへん自慢したがりの嫌なじじいやんか。
そういえばウチの店に来る男はだいたい自慢したがり。よほど家で話しを聞いて貰われへんねんやろ、店に来たら、こんな仕事をしたぞいくら儲けたとかオンナに惚れられたとかそんなんばっかりや。
でもなあ、コロナでエライ目におうたからお客さんの有り難みが身に沁みてるわ。どんな人でも客は客。こんな時期に銭を使うてわざわざ来てくれはるんやもん。そやから親身に聞いて真心で相槌を打たなアカンのや。
親鸞聖人の言葉を集めた『歎異抄』の第13章には、次のような言葉があります。
「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」 私の心がよいから私は人を殺さないのではない。縁がないから殺さないだけであって、縁が熟せば、人は百人でも千人でも殺すかもしれない。人は縁によってどのような行いをもしてしまう、そういう存在なのだ、と親鸞聖人は指摘されています。
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が、「人を殺してはいけない」と諭すのではなく、なんとおどろくべきことに、「縁さえ熟せば私も人を殺してしまうかもしれない」と告白されるのです。ここに、人間存在の持つ闇を、深い悲しみをもってじっと見つめている親鸞聖人がおられます。
「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず」この歳になってようやくこの言葉の味がわかるようになった。若いときはええこともわるいこともみんな自分のせい、自分の力。そやないんや、自分の力は半分いや三割以下。みーんなご縁やねん。若いときに惚れて結婚、うまいこといかんですったもんだして離婚、相手のせいにしてたけどウチもわるかった。いや、ご縁がなかったんやなあ、誰のせいでもないんや。
ウチのお父ちゃん、戦争に取られて支那へ行ったらしい。戦争のことはひとことも言わんかったけど終戦後は国鉄に勤めて踏切番をずっと務めてた。朝晩は仏壇を拝んで念仏唱えてた。ひょっとしたら歎異抄読んでたかも。わがこころのよくて、ころさぬにはあらず
『歎異抄 (光文社古典新訳文庫)』(唯円, 親鸞, 川村 湊 著) 。
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年7月17日
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