人生も芸の内なり花曇
ボロディンQショスタコ弦四全集、今朝は3番ヘ長調。これは力作だ。
第5楽章は、冒頭のチェロの旋律が増4度、増5度と連なるため、不気味でもののけじみているが、荒井氏のヴァイオリンからは少女が切なく身もだえするような音色が聴こえてきたり、第2番みたいな「戦争」にもなる。しかし最後には張り詰めた緊張感の中、静かなピアニッシモのかすかな和音を鳴らしながら第1ヴァイオリンがゆっくり沈みこんで消えていく。弓が弦から離れたときの静謐さはたとえようもなく無言の充足感に溢れていた。
どんな音楽かを文字にしたくてモルゴーアQライブレポートからコピペさせて貰った。虚無と諧謔のショスタコーヴィチの面目躍如だがその意味するところは不明、というのが我が感想だ。だからこそショスタコ研究せねばならぬ。
スターリンにショスタコーヴィチの音楽が理解できていたかどうかは疑問だが、彼を芸術家として尊重していた。同時代の作家や詩人を弾圧し、粛清し、虐殺したが、音楽だけは不可侵だった。神の子のように思ってショスタコーヴィチに特権的な地位を与えていた。 https://t.co/P0VdAEa8pG
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年1月25日
15の交響曲と主要な作品について、亀井はショスタコーヴィチの内面にまで踏み込んだ詳しい楽曲分析を繰り広げる。それは本当にみごとなものだけれど、一方で作曲とはそんなに内面的な心情などに左右されるものなのかとも思った。もっと純粋な音楽そのものが要請する展開がある https://t.co/3MUxFpqIGR
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年1月25日
ところで40代の頃「人生も芸の内なり花曇」なる句をひねったことがある。真面目な性格の故か軽い鬱になってその対策。
仕事と思うから辛くなる、仕事と思うな、芸と思え、辛い仕事を面白くするのが芸人やないか。
この対策が効いたのかどうか判らぬままに自然治癒したけど、世の中にはもっと重い鬱もある。
『ふざけんな、ふざけんな、みんないい思いしやがって』空前の藤井フィーバーに沸く将棋界、突然の休場を余儀なくされた羽生世代の棋士。うつ病回復末期の“患者”がリハビリを兼ねて綴った世にも珍しい手記。
図書館から借りてまだ読書半分程度だが、うつ病も重くなると自殺願望が出るらしい。それに比べると我が鬱はかわいいもんだ。
人生に事は三つ→仕事、色事、芸事。ショスタコはこのどれにも長けていたと勝手に想像するが果たしてホントか、鬱にはならなかったろうか。