自分探しから他人探しへ
最後の講義みうらじゅんが面白かった。
【本日12月15日深夜24時 再放送】に「もし今日が人生最後だったらどんなメッセージを残すのか?」 各界の権威が英智の全てを注ぐ特別授業、NHK『最後の講義』から、みうらじゅん、西原理恵子の講義がNHK BS1で12月15日(日)深夜に再放送されます https://t.co/ppJvCBbd28
— amass (@amass_jp) 2019年12月15日
ネット検索して克明に文字起こししている記事があったので、そこからエッセンスをコピペ。
井上陽水さんの「夢の中へ」という歌。 何かを探そうとしているけど、結局一緒に踊る。それはその「 何か」がないから。つまり、「自分なくし」である。
その昔、「自分探し」が流行った時代があるらしい。 その時代以降の人たちは、 それをずるずると引きずっていると思う。 ビートルズのジョージハリスンがインドでシタールを習ってきた。
世界中でインドにバックパッカーして、 自分探しをするのが流行った。
自分探しは他力本願である。結局、 お金で解決しようとするものである。それより、 自分はしょうがねえなとあきらめよう。 あきらめるとは仏教の言葉である。
自分があると面倒くさい。自分があるから他人とケンカになる。 他人があるから自分がある
幸せに対して背を向けていたのが自分らしさ。
人は自分に対して、とてもまじめすぎる。つまり、 人は自分が大事すぎる。人は自分に対してまじめだけど、 他人に対してはまじめじゃない。「マイナス盛蔵」になる。
「幸せに対して背を向けていたのが自分らしさ」にビビッと来たなあ。自分らしさを求めたり自分探しをするから不幸になる。自分なんか無い、自分無くしをしようというのがみうらじゅんの幸福論。
そこでカサドN響スペイン奇想曲、リストPコン1番、冬の日の幻想を聴きながら考えた。
N響&カサド@ サントリー スペイン奇想曲、リストP協1(ハリトーノフ)、冬の日の幻想。N響はさすがに高い技術で無難にまとめるが、今年の圧倒的な世界レベルのN響定期と比べると物足りなさが残ってしまう。ただし初めてオケを聴く人などにはぴったりのプログラムなので、こういう定期もありです。 pic.twitter.com/X8RDdq3cDp
— 佐藤治彦の映画と音楽と劇で一生終っちまう (@satoharuhiko2) 2019年12月12日
自分探しよりは他人探しをしよう。だから音楽を聴く、音楽は音の曼陀羅。
要するに、全ては大日如来の現れ=化身と説くのが胎蔵界曼陀羅。更には山川草木悉皆成仏、自然にも仏性ありとする。
もう俺は音楽にロマンやヒロイズム更には感情の共有→共感を求めたりしない。音楽は他人の心を知る手段のひとつ。バッハやベートーベンやチャイコフスキーが何を考えたか、なんでこんな音楽を作ったのか。そんな雑念妄想謹聴が暇潰しになる、他人様の演奏一所懸命オーラが生きる糧なのだ。俺はプラス盛蔵なり。