天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

人生を納得させてくれる音楽

リヒターのバッハオルガン曲三枚組からほにゃららとフーガをピックアップしてPL作成という試みを始めているが今朝はその2曲目→前奏曲とフーガBWV543イ短調
前奏曲には聴き覚えが無かったがフーガに入ると覚えのある主題→おお、そうかこの曲か。
リヒターを聴き終えたらBWV543Spotify検索→吉田恵、ヴァルヒャ、最後はグリモーPと聴いてPL作成終了。

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フーガを聴いていて思った→俺は何故こんなにフーガに惹かれるのか。難しい楽理は全く知らないが主題の複雑な反復、ポリフォニー。それが潮が満ちて来るような快感、あるいは大河が最後には海に流れ込む景。
そうか、人は固有に生まれ普遍に死ぬ。前奏曲は固有、フーガは普遍となって人生は納得させてくれるのだ。
そこで日記「固有、普遍」検索。


どんな境遇に生まれて成長し社会の中でどのように暮らし生きるかが固有。しかし最後は生まれた時と同様に裸=普遍に死ぬ。つまり、人は固有に生まれ普遍に死ぬということだ。死ぬことで固有の自己は存在しなくなるが、普遍の自己はなお生きると言いたいところだが、人間死んだらタダのゴミ。だから、普遍に死ぬという理屈が納得して死ぬ理由のひとつにはなるとしておこう。
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2017/05/17/055742


なんやあ、ちっとも成長しとらんがな。いつも同じ繰り言や。前奏曲=固有、フーガ=普遍なる屁理屈だけかちょっぴり収穫だけどこれもリストのパクリと言われるかも。


さて、彼の交響詩「レ・プレリュード」はどんな物語なのでしょうか。プレリュードとは、前奏曲を意味します。標題は、「私たちの人生は死へ向かっての前奏曲である」ということ。
https://inusarukizi.hatenablog.com/entry/2018/04/20/235759

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