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天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

固有に生まれ普遍に死ぬ

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来月は予習しておくべきライブが盛り沢山→カンタータ初ライブ、テレマン協会夙川教会、モーツァルト阪大ワンコイン、五嶋みどりQ、ハーゲンQ、復活、マタイ受難曲。そこで今から早めに予習中。

今朝はテレマン協会夙川教会。
H.シュッツ:十字架上の7つの言葉 SWV 478
J.S.バッハ:ミサ曲 ト短調 BWV235
G.F.ヘンデル:主は言われた HWV232
日本テレマン協会 第185回 教会音楽シリーズ マルティン・ルター宗教改革500周年に寄せて「G.F.ヘンデル 主は言われた HWV232」

今朝の予習で分かったのだが、予習で聴く順番は
ヘンデル→バッハ→シュッツ
とするべき。軽いヘンデルを聴いた後にオブリガート等ポリフゥニーを重く楽しめるバッハ、最後に飾りを排した20分で聴ける厳粛コンパクト受難曲シュッツ。これがライブでも正しい順番と思うが、如何であろう延原武春先生。

ところで俺は何故こんなに宗教曲を聴くようになったのか。ロマン派自己主張に飽きたというのもあるが、人は何のために生きるのかという哲学屁理屈好きもあるなあと気づいた。

そこで我が得意の人生方程式登場。

自己=固有(損得、好き嫌い、善悪、理非)+普遍(苦楽、美醜、虚実)
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/137526/133272/96004953

どんな境遇に生まれて成長し社会の中でどのように暮らし生きるかが固有。しかし最後は生まれた時と同様に裸=普遍に死ぬ。つまり、人は固有に生まれ普遍に死ぬということだ。死ぬことで固有の自己は存在しなくなるが、普遍の自己はなお生きると言いたいところだが、人間死んだらタダのゴミ。だから、普遍に死ぬという理屈が納得して死ぬ理由のひとつにはなるとしておこう。