天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

音楽は五蘊のドラマ

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クァルテット・エクセルシオ
西野ゆか/山田百子/吉田有紀子/大友肇
の京都定期が近づいてきたので予習。
曲目・演目:ハイドン弦楽四重奏曲第41番ト長調作品33-5
ベートーヴェン弦楽四重奏曲第4番ハ短調作品18-4
シューベルト弦楽四重奏曲第13番イ短調「ロザムンデ」D804

ハイドンは全く白紙の曲→Spotifyでなんとか見つけた。それなりに面白いけどモーツァルトとどうちゃうねんという感じ。
ベートーベンは聞き覚えがあった、既にベートーベンらしさが十分に出ている、名曲。
そしてロザムンデ、第2楽章の甘く切ないメロディ、他の楽章は聴き込み要。

てな感じで1回目予習終了したが、聴きながら何のために音楽を聴くのか、考えた。

1.ライブ予習のため
Spotifyという強力なツールを手に入れたのでこれを使えば未知白紙の曲でも聞き込んだ後にライブに臨める。
2.コレクションのため
美術品収集と同じ。集める事自体に意味がある。我が教会カンタータ全曲踏破作戦もその趣きあり。NHKFMクラシック番組録音も未知の面白い音楽に出会うため。
3.聴くこと自体の意味
ではそもそも何のためにライブを聴きに行ったり、音楽収集するのか。音楽を聴いて何の意味があるのか。

音楽は喜怒哀楽などの感情表現ではあるが、それに尽きるものではなく、もっと高次元、抽象度の高いものかあるのではないかとかねがね考えている。以前にこんな記述もしているなあ。

これはつまり、モーツァルトの形式美に込められた感情表現は喜怒哀楽を直接具体的なものではなく、もっと抽象度を上げた感情表現と理解するべきということ。そしてバッハは更に抽象的な感情表現→形式美ではなかろうか。逆に言うとバッハ→モーツァルト→ロマン派(元祖ベートーベン)と時代をくだる程に形式美=感情表現が直接具体的になったということだ。
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2017/09/18/051231

喜怒哀楽を含めたもっと高次元の言葉はないものかと想念していたら五蘊に思い至った←こころの時代 アンコール「心はいかにして生まれるのか―脳科学と仏教の共鳴」
http://www4.nhk.or.jp/kokoro/

この番組によれば、釈迦が作出した概念→五蘊は最近の脳科学の成果ともマッチするそうで、五蘊が脳の具体的領域の機能と対応するようだ。番組の完全文字起こし記事から五蘊の記述のみをコピペする。

「色」とは感覚器官を備えた身体。
「受」は苦や楽などの感覚、あるいは感受。「想」は認識対象から姿形の像などを受ける表象作用。
「行」は能動的に意志する働きや衝動的欲求
「識」は認識、あるいは判断のこととされます。
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-753.htm

喜怒哀楽などの感情は「受」に含まれ、ロマン派音楽なんかは「行」→欲望と「受」の葛藤のドラマ、バッハは「想」→神の表象をめぐる「識」→信仰の音楽。そして演奏家の身体→「色」によって音楽は音として具現化する。かくして音楽は五蘊のドラマなり。

おお、上手いこと五蘊に嵌め込めた。だから、
4.音楽は我が駄文のためにある