天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

我を忘れる喜び→永遠の今

昨日、雨の三国峠。しばらく待っていたら雨が止んだのですこし峠を下って歩いた。全山紅葉だ。

f:id:doyoubi92724169:20170930045054j:image

晴れていたらもっと綺麗な写真が撮れたのにとちょっぴり残念だったが、歩きながら何故風景美に感動するのか考えた。
我を忘れる喜び、これが感動の理由だなあ。日頃、次はこれをしなくっちや、ああ、あれもなどと我に関する思い煩いばかり。そんな日常の私から一瞬、切り離されて我を忘れる、それが風景美の力なのだ。

そして今朝、グールド平均律巻1を聴いてて音楽も同様と思い到った。聴く側よりも演奏する側の喜びは更に大きいだろう。風景も音楽も美は全て我を忘れる喜び→永遠の今。流れ行く日常の時間の中にこうして永遠の今が存在するのである。

平均律の後はチャイ5バッティストーニ。平均律の対極にある喜怒哀楽音楽。バッハもチャイコフスキーも没頭して聴けば永遠の今を与えてくれる。

2:40 管楽アンサンブル
2:49 グールド平均律巻1ト長調から巻1最終まで←短い小曲集、バラエティに富む、調性感覚鍛練。
魂の音楽←あまりに文学的表現
風景美→我を忘れる喜び、音楽美も同じ。あ、愛もそうか。すなわち、美は永遠の今。3:33 モーツァルト聴きたかったのにダウンロード無し→チャイ5バッティストーニ
平均律形式美の対極がチャイ交響曲→終楽章は勝利と歓喜
4:22 管楽アンサンブルBGMブログ書き。

f:id:doyoubi92724169:20170930045218j:image