いつかは非人情へ
今朝はショパンとドビュッシー 。というのも今月の阪大ワンコインが
中桐望ピアノリサイタル<前奏曲:様式を超えて聞こえる声>
https://sites.google.com/onecoinconcertforall.com/occa-japanese/%E5%8F%97%E4%BB%98%E4%B8%AD%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%88/nakagiripianorecita2019
次にドビュッシー
聴きながら例によって屁理屈妄想。
バッハ=ロゴス←始めにロゴスありきヨハネ福音書、ショパン=心←ロマン派、ドビュッシー =風景←印象派。
このうち、心が最も厄介だから排除→残るはロゴスと風景、そしてロゴスは最早信仰不可能なので最後は風景。音楽を信仰や心や魂などの夾雑物排除して単なる風景として愉しめばいいんだ。
ここまで妄想して「漱石、非人情」を思いついた。そこで「漱石、非人情、グールド」検索。
ピアニストのグレン・グールドが亡くなった時、枕元にあった2冊の本が『新訳聖書』と夏目漱石の『草枕』だったというのは、ちょっと知られた話だ。グールドが演奏活動をやめた3年後である1967年に、知人の大学教授から贈られたというその小説を、彼は亡くなる1982年まで幾度も読み重ねたのだという。
http://www.nhkso.or.jp/library/otonokioku/8673/
そうか、グールドは非人情の音楽としてバッハを愛したのかもしれぬなあ。俺もいつかは非人情へ、でもいつまでもダメ虎に一喜一憂するのだが。