天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

画家シェーンベルク

今朝はシェーンベルクポリーニで聴いた。ピアノ組曲を聴いて十二音は確かに単なる無調より統一感があるなあと思ったりしてるうちに寝落ち、夢見心地のままピアノ協奏曲←これは聴きやすい。検索したら


シェーンベルク、無調、12音などという言葉に身構えることなく、ただその響きの美しさに虚心に耳を傾けるならば、まさに20世紀の古典とも言うべき音楽だと言うことが容易に理解でいるはずです。(おそらく、その音はバルトーク弦楽四重奏曲を聴くよりははるかに容易に理解できるはずです。) 


バルトーク弦四鬼門なのでたしかに、と納得して、ウィキでシェーンベルクの人生をさらっと読んだら絵も描いていた、自画像があると知って更に検索。

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一言でいうと、シェーンベルクは心の内面や感情表現を作品の中で表現することを第一に考えていました。
例えば「グレの歌」でも、ヴァルデマールとトーヴェの掛け合いでは、オーケストラでも独唱でも、非常にドラマチックで複雑な感情表現が聴きどころの一つなんです。オペラって、現代に生きる我々から見ると非現実的な筋立てが多く、感情移入しづらいストーリーも多いのですが、「グレの歌」では100年後に生きる現代の私達でも理解できる、シリアスな男女の情念をしっかり描写しているんです。


この自画像には彼の純粋さが滲んでいるような、そういえば寅も純粋な男やなあと昨夜晩酌の肴にした「夕焼け小焼け」を思い出した。BSプレミアムはこのところ寅を放送しているがひょっとしたら全作放映してくれるのかなあ。
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音楽は理屈とアドレナリン

シェーンベルク入門しようと思ったに、その門は高く、跳ね返されてしまったのが口惜しくて今朝もショスタコ弦四7番、8番の後はシェーンベルク×グールド。

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5つのピアノ曲op.23
ピアノ組曲op.25


作品23を聴き終えて理屈好きの俺には何か知識や理屈を注入せなあかんなと思って「グールド  無調 シェーンベルク」検索で面白い記事発見。


そして、この「12音技法」のみを使って全曲が作られたのが「ピアノ組曲 Op.25」なのです。そして、そうやって作られた音楽を聞くと、おそらく多くの人は不思議な感覚にとらわれるのではないでしょうか。
それは、この「12音技法」を全面的に取り入れることで徹底的に調性の呪縛から解き放たれたはずなので、聞いてみると、そこに不思議な「統一感」のようなものを感じてしまうのです。そして、その「統一感」があるゆえに、一見すると人の心を拒否するような素振りを見せながら、聞き終えた後に不思議なくらい心のひだに食い込んでいたことに気づくのです。

ほうなるほど統一感かあ。感化されやすい俺はもう一度今度はネット検索などしないで謹聴。心の中にシェーンベルクの統一感存在感がちょっぴり生じた。
音楽を理解するということは、その音のドラマが心の中にある位置を占めること。
読書百遍シェーンベルク存在感、明日も聴く絶対に。


ところで上に引いた記事にはこんな部分もあった。


そして、グールドについて言えば、彼もまた数多くの著述を残し、「芸術の目的は、瞬間的なアドレナリンの解放ではなく、むしろ、驚嘆と静寂の精神状態を生涯かけて構築することにある」という言葉は、その様な著述活を根拠づけるものとなっていました。その立ち位置は「ネコほどの知性もない」と酷評されながら「瞬間的なアドレナリンの解放」に全生涯をかけたホロヴィッツとは対極に位置するものでした。


これはオモロイ。ホロヴィッツはアドレナリンピアニスト、グールドは屁理屈ピアニストと覚えておこう。音楽は理屈とアドレナリンとからで出来ている。

シェーンベルク門は高かった

夜の停車駅/憂鬱な分身で聴いて、ひょっとしたらシェーンベルク入門できるかなと、今朝はも一度→憂鬱な分身。そしてポリーニの20世紀アルバムの中の曲に挑戦。


アカンかったわ、門は高かったわ。表情の全く無い人の顔を眺めているような気分。そこでグールドがシェーンベルクを得意としていた話を思い出して

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黒田さんは、シェーンベルクウェーベルンといった演目のポリーニの演奏会を聴いてこう書きます。
シェーンベルクの三曲は、グレン・グールドのレコードできくことができて、それをはじめてきいた時に、それこそとびあがらんほどに驚いたことを忘れていたわけではなかった。なるほどシェーンベルクピアノ曲は、こんなにも魅力的だったのかと、そのグールドのレコードをきいた時に思った。それをおぼえていながら、ポリーニの演奏をきいた後に、これはぼくが今迄にきいた最高の演奏会のひとつだよ、といってしまった。われながら節操がないと思う。』(「聴こえるものの彼方へ」ステレオサウンド刊pp105より、初出は1974年)

これもちっとも感じへんかった。シェーンベルク門は高かった。近くまで行ったことでよしとする。


 

シェーンベルク入門←夜の停車駅

夜の停車駅なるラジオ番組が昔、あったらしい。


この正月にリメイク放送されて偶々聴いたのだが、面白かった。

第3話は未聴だが第1話「憂鬱な分身」、話しも面白かったが挿入曲が良かった。フォーレのベレメリその他に加えてなんとシェーンベルク
放送では楽曲名の紹介はなかったが後刻ネットでシェーンベルクと知って少々びっくり。例えば
「六つの小品 作品19から 第2曲」
シェーンベルク:作曲
(ピアノ)マウリツィオ・ポリーニ
(0分34秒)
<ポリドール 423 249-2>

てな具合だ。そこでSpotifyポリーニを探索して音源発見。

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ポリーニ・コレクション~20世紀音楽編(6CD)
巨匠ポリーニのピアノ・コレクション・ボックス第2弾。彼がキャリアの初期から現在に至るまで積極的に取り組んできた20世紀音楽を一挙に集めた6枚組です。バルトークブーレーズ、マンツォーニ、ノーノ、プロコフィエフシェーンベルクストラヴィンスキーヴェーベルンといった初期録音から、近年の名盤として名高いドビュッシーとベルクまでをコンプリートした充実の内容です。(ユニバーサルIMS)

これもご縁だからこのアルバムをぼちぼち聴こう。夜の停車駅「憂鬱な分身」も再聴する。勉強家だなあ俺、シェーンベルクピアノ曲から入門せよとの神の恩寵かも。


 

俺の小さな平穏を壊すな、トランプ

12日初ライブ京響
シューマン:歌劇「ゲノヴェーヴァ」op.81から序曲
シューマン:ピアノ協奏曲イ短調 op.54
シューマン交響曲第3番変ホ長調「ライン」op.97
クレメンス・シュルト(指揮)
岡田 奏(ピアノ)

指揮者、ソリスト共に知らない人。京響ライブをお気に入りP席で裏側から見る聴くのが楽しみで1800円チケット購入。あ、P席売り切れだ。
ピアコンもラインも耳タコなので今朝はリマインド予習。ついでにゲノヴェーヴァはオペラあらすじ検索。


予習し終えてバッハを聴きたくなったのでイギリス組曲5番ホ短調グールド←激動ロマン派に対してこちらは神の下調和の世界。もう歳だから激動よりも調和平穏がいいな、ところがトランプ 

お陰でドル円急落。いくら含み損が拡大してもドル預金のつもりでホールド所存。俺の小さな平穏を世界激動がかき乱すけど。まさか戦争はないよなとは思うが。
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ピカソ「泣く女」

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イギリス組曲1番イ長調グールドを聴いていたら唐突にピカソ「泣く女」を思い出した。敢えて素人の屁理屈をつけるならバッハのポリフォニーピカソキュビズムとには重層性立体感なる共通点があるのだろう。


グールドの左手の動きに注意を傾けてバッハを聴く、同様にピカソのこの絵も些細に細部を見つめると面白い。ウィーンフィルニューイヤーコンサートの雰囲気に酔う草笛光子もいいけれど、酔うよりは見つめることが大事、あ、ゴメンニューイヤーコンサートをBGMにしてこの駄文を書いていた。


さてこれで今日の日記を今日も書けた。メシアンを聴こう。
 

遊びをせむとや生まれけむ

ショスタコ弦四4番ニ長調フィッツウィリアムQ、フランス組曲グールド  を聴き終えてもう少し脂濃いものが欲しくなりベートーベン弦四ベルチャQ、というのも

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10年日記2018年でこんなのを見つけたからだ。ところが聴いてみたら「遊びをせむとや生まれけむ」とは到底ならなかった。
あ、こんなこと自体が遊びやったか。
ともかくも
ジムに行こう遊びをせむと二日かな