謹賀新年
元旦未明。
3:12 ショスタコ弦四3番ヘ長調フィッツ
3:43 フランス組曲2番ハ短調グールド、3番ロ短調
4:02 メシアン 永遠の教会の出現ラトリー
4:14 チェコフィル樫本大進チャイコン 弛緩BGMビシュコフ交響曲マンフレッド
元旦だからといって特に変わったことはない。いつもの通り寝床タブレット×イヤホン。
猥雑ショスタコの後のバッハはとりわけ端正に美しい。先週はペライアでバッハやったが今週はグールド←ペライアはドライグールドよりウェットと思っていたがグールドも十分に哀歓に満ちている否そもそもバッハそのものが哀歓とりわけ短調サラバンド。
さて、今日は電車外出→三宮で親族新年会。
姪の子どもたちにお年玉をあげるのが喜ばしい。
みんなの筆王なるスマホアプリで作った年賀状通信面。宛名はハガキデザインキットで管理。表書きはパソコン、裏はスマホプリントの二刀流。今年の暮れにはやり方忘れているやろから備忘メモ。
メシアン「栄光の身体」
ラトリー のメシアン オルガン全集6枚組の2枚目。Amazonから曲名をコピペする。
栄光の身体 甦りし者たちの命に関する七つの短い幻影
I.栄光の身体の精妙さ 「自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。復活の時には、天使のようになるのだ」 〔コリントの信徒への手紙一第15章第
II.恩寵の水 「玉座の中央におられる子羊が、選ばれた者たちを、命の水へと導くだろう」 〔ヨハネの黙示録第7章第17節より〕
III.香をもつ天使 「香の煙は、天使の手から、聖なる者たちの祈りと共に神の御前へ立ち上った」 〔ヨハネの黙示録第8章第4節より〕
IV.死と生との闘い 「死と生命とは不思議な闘いを行い、生命の造り主が死に給うた。しかし見よ、今や生きて統べ給う。そして彼は言う。主よ、私は甦った。も
V.栄光の身体の力と敏捷さ 「蒔かれる時には弱いものでも、力強いものに復活するのです」 〔コリントの信徒への手紙一第15章第43節〕
VI.栄光の身体の喜びと輝き 「そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く」 〔マタイによる福音書第13章第43節〕
VII.聖なる三位一体の神秘 「全能の父よ、御身は、御独子と聖霊と共に、唯一の神、唯一の主にて在す。即ち御身は、唯一の位格にて在すのではなく、三つの位格
聖書出典まで記したタイトル←長いなあ、でも、一部寝落ちしたけど面白く感じる所もあった。無味乾燥な十二音とは違う、メロディやモチーフらしきものもある。
そこでネット検索。短いタイトルと的確な感想の記事をなんとか探し当てた。
栄光に輝く体 - 復活の7つの短い幻影
第1曲 栄光に輝く体の霊妙性
第2曲 恩寵の泉
第3曲 香りを持った天使
第4曲 死と命の戦い
第5曲 栄光に輝く体の力と敏捷性
第6曲 栄光の御体の喜びと明るさ
第7曲 聖三位一体の神秘
全体で54,55分くらいの演奏時間になり、第4曲目の「死と命の戦い」が一番長くて20分程度に及んでいます。「死と命との戦い」は復活の続唱にも出て来るお馴染みの語句で、内容もタイトルをそのまま表しているようです。前半の14分過ぎまでが大きな音で、工兵やら砲兵を含んだ混成の部隊が殺到していくるような喧騒が押しとどめられているような緊迫感です。この後一旦静かになって、今度は深海に沈んで行くような音楽に変わります。まるで「黄泉くだり」をほうふつとさせる音楽です。この第4曲を挟んで神秘的で、メシアンらしい(時期によって違うとしても)内容の楽曲が並び、前半の三つの楽曲は第5-7曲の予兆、鏡で写したようでもあると思いました。
今度はこの記事を参考にして聴こう。クラシック音楽は難しい。繰り返し聴く、それが理解に至る山道や。
世界観音楽と人生観音楽
今朝も昨日と同じくバッハ→ショスタコ→メシアンの順で聴楽しようと思いイギリス組曲ペライア2番ニ短調、4番ヘ長調、5番ホ長調と聴き終えたところで富貴晴美に方針変更。
というのも昨日、車で聴いたきらクラ富貴晴美「音楽は映画に世界観を与える」が印象的だったからSpotify富貴晴美検索して関ヶ原を見つけてBGMしているからだ。
昨日のNHKラジオ第1「すっぴん!」【すっぴんインタビュー】作曲家・ピアニスト…富貴晴美さん。映画「タイタニック」の音楽に憧れ、お父様に「音楽家になりたい」と言うと「シンガーソングライター=ギター=中島みゆきかぁ」と言われたと話してました。 https://t.co/eEefeQBPaC
— 阿部@研究所 (@miyuki_lab) 2018年1月17日
富貴晴美の言葉は平板なスクリーンに音楽は奥行きを与えるという意味も含んでいて彼女の映画音楽作曲の根っこにあるようだ。
それはさておき昨日の我がブログ
メシアンの信仰と音楽とがどんな回路でつながっているのか、そしてこの「主の降誕 九つの瞑想」が何を意味しているのか、バッハ受難曲となぜこんなにも違うのか等々、バッハ→ショスタコ→メシアンの今朝の流れはひとつの恩寵=ご縁だったな。ちなみにこの三人の音楽は、ロマン派→音楽に意味を求める人々とは一線を画している共通点ありと位置づけている。意味を求めるロマン派はもう聴き飽きたのだ。
にFBでコメント頂戴した。
バッハ、ショスタコ、メシアンには超越なる共通の「意味」があるやろとの指摘だ。
そこで沈思黙考。人生観×世界観の二項対立で得意の人生方程式。
超越なる言葉をFBコメで頂戴し、きらクラで富貴晴美「音楽は映画に世界観を与える」に触れて得意の人生方程式。ベートーベン は人生観音楽、バッハは世界観音楽などと使える。
— 土曜日 (@doyoubi) 2019年12月29日
人生=人生観(損得、好き嫌い、善悪、理非)+世界観(苦楽、美醜、虚実) https://t.co/BaCk4JIaSR
人生観と世界観の間には苦楽、美醜などのグレイボーダーがあるが、損得好き嫌いは明らかに人生観、虚実は世界観の核だ→キリスト教も仏教もこの世は虚とする傾向があるもんね。
そこでレッテル貼り結論。バッハは世界観音楽、ベートーベンは人生観音楽、ショパンも人生観、ドビュッシー は世界観てな具合だ。今朝も恩寵=ご縁を得たり。
意味からエロスへそして希望を
目覚めて今朝はと考えてイギリス組曲ペライア←昨日はフランス組曲全曲ペライアしたので。
ところが1番イ長調、3番ト短調を聴き終えたら気分転換したくなりショスタコ弦四1番フィッツウィリアムQ。
よし、これで今日の日記、何かでっち上げできるなとBGMはメシアン オルガン曲全集ラトリー 。
メシアン:オルガン作品全集
主の降誕/栄光の御体/聖三位一体の神秘への瞑想/キリストの昇天/聖霊降臨祭のミサ/オルガンの書/聖体秘跡の書
オリヴィエ・ラトリ(Org)
2000年7月デジタル録音。フランスを代表する現代音楽作曲家メシアンの没後10年を記念しての、オルガン作品全集です。
これが面白かった。BGMに出来なかったのが嬉しい。
この6枚組、一枚目に収められているのが
主の降誕 九つの瞑想
I.聖母と幼子
II.羊飼いたち
III.永遠の摂理
IV.言葉
V.神の子たち
VI.天使たち
VII.イエスは苦難を受け給う
VIII.東方の三博士
IX.神は私たちと共に
各曲の標題を念頭にメシアンのケッタイな音楽を聴いているといろんな妄想瞑想が湧いて来る。メシアンについてはトゥランガリラその他管弦楽曲を聴いているがオルガン曲もこれで聴き込めると自信を得た。
メシアン「キリストの昇天」@ジョン・ギロックBS2再生。いつも思うのだがメシアンの信仰が彼の中でどんな回路を経てこの奇妙な音楽につながったのか大興味。「彼は十字をきりながらマスターベーションしているようだ」との説で一応理解ではあるが。http://bit.ly/4wv2OE
— 土曜日 (@doyoubi) 2009年12月17日
メシアンの信仰と音楽とがどんな回路でつながっているのか、そしてこの「主の降誕 九つの瞑想」が何を意味しているのか、バッハ受難曲となぜこんなにも違うのか等々、バッハ→ショスタコ→メシアンの今朝の流れはひとつの恩寵=ご縁だったな。ちなみにこの三人の音楽は、ロマン派→音楽に意味を求める人々とは一線を画している共通点ありと位置づけている。意味を求めるロマン派はもう聴き飽きたのだ。
そこで意味といえば書き落としてはならぬのが我が短歌旧作。
生きる意味は希望 - 天井桟敷日記
— 土曜日 (@doyoubi) 2019年12月28日
エロスより出でてエロスに環り来む意味を求めてめぐりし後に
エロス=希望と読み替えればいいのだ。希望こそ生きる理由=意味であった。 https://t.co/gg6z9dfEkE
人生に意味はないけど、希望はあってもいい否あった方がいい。キリスト者はインマヌエル=神は我らと共に、という希望を持てるのが羨ましいと無神論者はちょっぴり妬むのではある。
バッハに救われた田渕久美子
NHK FMのクラシック番組はオペラファンタティスカ以外全てをラジクールで録音しているが、これに加えて番組表から面白そうなジャズ、ポップス、歌謡曲、トークなどもピックアップして録音している。
そんな中で今朝は夜のプレイリスト・セレクション「バッハ フランス組曲(全曲)」グレン・グールドを再生したら、案内役があの大河ドラマ傑作「篤姫」の脚本家田渕久美子だった。
離婚歴があり、1992年に結婚した最初の夫と、1999年のクリスマスイブに“仕事のために”離婚したが、その後3年間は同居していた。2006年に再婚した2番目の夫とは、『篤姫』放送中の2008年10月に死別した。
この番組、以前にも聴いたことがあり田渕久美子の話に感銘、今回「フランス組曲 田渕久美子 投げやり」検索で文字起こししてくれてる記事に遭遇したのでそこからコピペさせて頂く。
もともとBachの音楽ってゆうのはわたしを大変癒してくれる。とゆうのはほんとに小さいころからおもってました。そこにGlenn Gouldとゆう人がピアノを弾くんであると。それはわたしにとっては鉄板なんですね。
そしてこうゆうすごい人たちが生きていた、こうゆうすごいものを作ったんだと、そうゆうことを感じさせてくれる人。
「わたしなんかがここでごちょごちょごちょごちょなにを書いても、大丈夫なんじゃないの、どうでも」みたいな。投げやりに聞こえるかもしれないんですけれども、まぁちょっと投げやりだったんですけれども。投げやりにならなければ持たなかった当時のわたしの気持ちってゆうのを救ってくれたアルバムのひとつがこの『フランス組曲』ですね。
完璧純粋な音楽に触れて「私にはそんな真似は出来ない、バッハやグールドではないんだもの」と「投げやり」に開き直れた田渕久美子。そういえばテレビ番組「ガイロク」で完璧な子育てノイローゼに陥った女性がダンナの「そんなに無理すんなよ」ひとことで目が覚めた話もあったなあ。
凡人は完全完璧を目指すな、ベターでええんや、と安易な俺は毎日ええ加減で生きている。バッハは神の使徒、神の恩寵はこうしたものかもしれない。
クリスマスオラトリオ夙川教会
今年の聴き納め
19.12.25(水)18:30 カトリック夙川教会 聖堂
日本テレマン協会第194回教会音楽シリーズ
指揮/延原武春 ソプラノ/中村朋子 アルト/伊豆田佑香 テノール/新井俊稀 バス/篠部信宏 合唱/テレマン室内合唱団 管弦楽/テレマン室内オーケストラ 曲目:J. S. バッハ/クリスマス・オラトリオ,クリスマス・キャロル,ほか 入場料:¥3,000/当日¥3,500 問い合わせ:日本テレマン協会(06-6345-1046)
2016年に関西に越して来て以来、毎年聴いているクリスマスオラトリオ夙川教会。今年で4回目。前半がエスカンデ指揮で
モテット「来たれ、イエスよ、来たれ」BWV229
モテット「すべての国よ、主を賛美せよ」BWV230
のハイライトと御大延原武春指揮クリオラ第一部、後半は第二部三部。その後のアンコールが御大オーボエソロで2曲、2曲目、カッチーニのアベマリアが心に沁みた。1曲目の曲名わからず、弦のピチカートに乗せての美しいオーボエソロ。
今朝Spotify探索して曲名判明→『アリオーソ(バッハのアリオーソ)』は、J.S.バッハ作曲:チェンバロ協奏曲 第5番 ヘ短調(BWV.1056)第2楽章のメロディ。この第2楽章は、バッハ:カンタータ第156番『わが片足すでに墓穴に入りぬ』のシンフォニアと同じ旋律が用いられている。
1965年のフランス映画「恋するガリア」テーマ曲として使われたほか、チェロ、ピアノ、ギターなど様々な楽器でカバーされている。
なお「アリオーソ ARIOSO」とは、イタリア語で「歌うように」を意味する音楽用語。オペラにおける独唱スタイルの一つで、レチタティーヴォ(Recitativo)とアリア(Aria)の間に歌われる。
上のリンクにYouTubeあり。
四年前はクリスマスオラトリオ なんて何?全くの白紙だったもんなぁと
省みるこの数年や年が逝く
駄句であった。そうそう今年は女性ティンパニスト→河野佳代子が印象的だった。