天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

エク京都定期、次はメンオク

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暇人渋ちんは高速を使わず一般道で京都まで2時間余。途中ココイチでいつもお気に入り野菜カレー昼、会場アルティに着いてシルバーチケット2千円購入→こんなに安くていいのか有り難や。
開場まで相当時間があったので御苑散策→開場1時間前を切ったのでホール自由席行列一番乗り。暫くしたらエク女←エクの女性サポーターをこう呼ぶと後で聞いた、が見えたので歓談しながら待つ。やがて開演。


ベートーヴェン弦楽四重奏曲 第5番 イ長調 作品18ー5 
シューマン弦楽四重奏曲 第3番 イ長調 作品41-3
シューベルト弦楽四重奏曲 第15番 ト長調 D887 作品161


ごめんベートーベンとシューマンは途中ウトウト、ベートーベンはもちょっと角と諧謔が欲しかったとつまらぬ言い訳を考える、シューマンはキャッチーでないからミーハーには合わずとこれも言い訳。
そしてシューベルト。これはバッチリ聴いた。今回予習でこの曲を「人類のためのレクイエム 」と呼ぶ向きがあることを知ったが

それにしてもこの執拗な音楽は。


それはさておき、皆さまと歓談の機会を得て幸せやった。次のエクはメンオク←メンデルスゾーン八重奏曲をこう呼ぶんだって。

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浅き夢見じ酔ひもせず

高血圧なので医者に降圧剤を処方して貰って服用しているのだが、昨日はその診察。毎朝つけている血圧日記を見せると「ちょっと高いねえ」「少し太ったので」。測って貰うと上が140←げげっ、こんな事は今までなかった。血圧が高いのは朝だけ、昼間医者に診て貰うと120やったのに。


そこで反省→節酒。昨夜は缶ビール1本と焼酎水割り1杯に抑えて就寝。浅くてよくない夢を←単位取り直せとか、見て何度も目覚めたがその都度寝直した。そして覚醒後の聴楽は
2:39 シューマン弦四3番、夢の時
3:19 シューベルト弦四15番、夢の時
今日のエク京都定期と週末カンブルラン京響の予習。


シューベルトを聴きながら「シューベルト 梅毒」ネット検索→先頭に出てきた記事は


梅毒は、1942年にペニシリンが実用化されたことで、やっと治療の道が広がりました。今は治療すれば治るようになりましたが、かつての人々は、何が本当の原因かもわからず、神からの罰と考え、おののき耐えながら、死を待つしかなかったのです。そんな苦悩の中で、命を振り絞るように素晴らしい芸術作品を世に残してきた芸術家たち。現在の我々にとっては、残された素晴らしい作品を通じて、彼らの思いを推し量るしかありません。


シューベルトの美しい音楽の陰にどんなおののきや恐怖、苦痛があったろうかと思ったら今日の日記タイトルが浮かんだ。


うゐのおくやま(有為の奥山) けふこえて(今日越えて)
 〓この無常の、有為転変の迷いの奥山を今乗り越えて《生滅滅已》


あさきゆめみし(浅き夢見し) えひもせす(酔いもせず)
 〓悟りの世界に至れば、もはやはかない夢を見ることなく、現象の仮相の世界に酔いしれる
   こともない安らかな心境である。《寂滅為楽》


悟りの世界など到底縁なき衆生なれど、神の罰におののく事は無くなんとかここまで生きて来られた、ああ有り難や。この先はわからねど。

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五年前の今頃、柳沢峠多分で撮った写真。健康で長生きだけが私の望みです、他にも多少の煩悩を持ってはおりますが。


ついでにこの日記を書くにあたっての検索で「浅き夢見し」は正しくは「浅き夢見じ」が文意に叶っていると知った。知識も富のひとつなり。
 

武満は瞬間を聴け

この週末カンブルラン京響ライブに向けてこのところ毎日、武満徹「夢の時」を予習しているのだがあいも変わらずちんぷんかんぷん。そこでヒントはないかとネット検索→読み応えある記事に出会った。


現代音楽にもかかわらず武満ファンは数多い。その理由の一端は、伝統的な音楽との差異を感じさせる外見の裏に、伝統的な音楽要素を取り入れている点にあると思う。事前にスコアを勉強し、集中を切らさなければ伝統的な形式観に則って構成を理解して武満の音楽をたのしむことも可能である。
しかしそのような聴き方を武満の音楽に対してするのは勿体ない。むしろ先入観なしで、音楽としてのまとまりある持続を感じられなくてもよいから、一瞬一瞬の音との出会いをたのしむつもりで接する方が、武満独自のよさを感得することができるだろうと、私自身の体験から思う。。

なるほど、音楽の横=時間の流れを捨象して縦=瞬間の音を楽しむ、それが武満の聴き方かあ。よし、とも一度「夢の時」を聴いたらダリ「記憶の固執」を想起した。

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観念的な言い方をしたら武満がこの曲で目指したのは時間の解体やなと屁理屈好きはまたもや理屈をコネてしもた。
それはともかく上に引用した記事の筆者は中村滋延という作曲家。ツィッターをフォローさせて貰った。


人生は全てご縁、めぐり合い。毎日なにがしかのご縁が生まれるのは有り難い、幸せや。
 

牛田智大

ショパンなんて滅多に聴かないのに

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2018年浜松国際ピアノコンクール日本人歴代最高位の2位!さらなる進化を遂げた牛田智大、10代最後のアルバム!

というのも下の番組を以前にも観たのに昨日また観てしもたからだ。


も少し派手にドラマチックに弾いてもいいような気もしないでもないが、抑制したロマンが彼の持ち味かも。「蜜蜂と遠雷」まだ上巻途中だけど、牛田智大に出会ったのもご縁かな。バッハを弾くライブをいつか聴きに行きたいよ。


 

お国より自分大切秋惜しむ

昨日は冨田一樹追っかけ


二階バルコニー席から冨田一樹の指先を見ながら聴いた。彼の演奏には熱がある。リサイタルと言っても1時間ほど、でも無料で聴かせてくれるのだからありがたい。ワンコインをカンパした。同志社チャペルコンサートはこれで2度目、また行こう。


熱気があるといえばマラ6クルレンツィス。


とりわけ第3楽章が素晴らしい。熱気の裏側の寂寥を感じる。
だから

熱狂もいいけど程々に。あ、また一句できてもた。
お国より自分大切秋惜しむ

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人生100年時代→暇潰しの達人

今朝もちんぷんかんぷん武満、シューベルト人類のレクイエムなど今週のライブに向けての予習。ちんぷんかんぷん武満徹「夢の時」をライブでどう感じるか、シューベルト弦四D887天国的長大曲エクなどが楽しみだ。


ところで聴いてて昨夜を思い出した→こんな風に毎日日曜してていいのか、何だっけ何のテレビやったっけ?


思い出した、この番組やった。ピアノ教師を何十年も続けた女性が年金2ヶ月分14万弱→これでは生きていけないので音楽介護の仕事をなんとか見つけて暮らしている一方、上のツイートにあるような経済的余裕且つ社会貢献なる仕合わせを味わっている人もいる。経済的に追い詰められてはいないが社会貢献皆無、絆も皆無でいいのかと酔ったまぎれに考えたのだった。

このおばさんが現在の年金制度はたかだか余命10年を前提に設計されていると言っていたなあ。俺もあと数年で年金三階建てが平屋になるんだった。


読み進めるにつれ、「自分は何を大切に生きているのか」「何を人生の土台にしたいのか」と自問せずにはいられないだろう。
これまでの成長至上主義から脱却し、自分らしい人生の道筋を描くための羅針盤として、何度もお読みいただきたい。


さて人生100年時代、経済は先行き不透明リスクが一杯だけれど、テレビとインターネットがあって良かったあ。暇人多忙の我が身幸せなり。

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キーシン BWV564

勉強好きの俺は今朝もライブに向けての予習。
武満徹「夢の時」←相変わらずちんぷんかんぷん。
ルクーV nソナタ←少しは耳に馴染んできたな。
シューマン弦四3番←味がちょっぴり滲み出した。偉大なベートーベン弦四に平伏しつつ作曲したシューマンを想う。
そして明日の予習

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京都の北、郊外まで足を伸ばして聴く冨田一樹追っかけ無料演奏会。バッハのオルガン曲はその全てについて聴き比べPL作成済み。このトッカータアダージョとフーガBWV564の聴き比べPLを繙いたらキーシンブゾーニ編曲ピアノ演奏があった。
オルガンよりピアノの方が旋律が際立つわいと愉しんだ。


ブゾーニの編曲によるバッハの有名オルガン作品『トッカータアダージョとフーガ』での豪壮かつ繊細なピアニズム、バラキレフの編曲によるグリンカの『ひばり』のノスタルジックな情感も見事です。シリーズ初登場タイトルです。(メーカー資料より)