天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

富田一樹レクチャーコンサート

富田一樹追っかけ隊

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レクチャーは
パイプの種類→プリンシパル、フルート、トランペットなど。
ストップの機能、倍音による音色変化など。
曲目詳細不明だったので予習しないで行ったがブクステフーデ 、パッヘルベル、バッハ。レクチャーにあわせて多彩な音色を楽しむプログラム、大きな楽器がかわいい音を、出すチャーミングオルガン。
Spotifyで楽曲を見つけられたら復習プレイリスト作成所存。
 

ジム×Amazonプライムビデオ

dTVは予定通り1カ月で退会。昨日からはAmazonプライムビデオがジムウォークの友。

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インドの<アインシュタインと並ぶ天才・ラマヌジャン>と英国人数学者の奇蹟と友情を描いた感動の実話

http://kiseki-sushiki.jp/info/?page_id=10

感涙する程ではなかったが無神論者英国人数学者の転生の物語として見て面白かった。最初の40分はジムタブレット鑑賞→家に帰って大画面テレビで見終えた。

そこで今日からの映画探索→「高い城の男」。

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これは小説The Man in the High Castle 『高い城の男』 をもとにアマゾンによってとうとう映像化されたドラマなのですが、第二次世界大戦、勝利したのはアメリカではなく、枢軸国ドイツと日本。アメリカ本土は日本国とナチ側に分断され、統治されている。小説とドラマの設定は大分違い、小説ではイタリアも出てくるそうです。

http://dramalove7.com/2016/04/28/post-1791/

設定が面白そうだが気色もちとわるい。展開もたるいみたいなので昨日の午後は弾みをつけるべく第3話まで自宅テレビ鑑賞。シーズン3まである長尺もの。君はこれに耐えられるかと今日はジムウォーク所存。

 

鬼門ドビュッシー前奏曲集

若気のいたりで買ってしもうたチケット→ドビュッシー祭り全3回。

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第一回は予習しないで行ってもそれなりに楽しめた。次回も面倒くさいので予習無し。だが最終回は前奏曲集巻1、2全曲ライブ。この機会に鬼門少しでも克服と早々予習中。 

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音楽=ヒロイズム+ロマンチシズム+形式美+祈り+祝祭+ドラマ
上記どの要素も持ってないドビュッシー前奏曲集、退屈我慢も聴楽じや。
 

小津安二郎「東京暮色」

小津安二郎最後のモノクロ作品。

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淡々とした展開、暗い内容にめげて途中放棄してもよかったのだが、未見小津映画なので辛抱、何日もかけて分断鑑賞。ラスト30分になってようやくドラマチック、見応えを感じた。人は皆、自分ではどうしようもない事情を抱えるものだが何かを支えに生きるべしとラスト原節子が教えてくれた。


上手にまとめているAmazonレビューをコピペしておく。


小津安二郎監督の映画の中では、主人公の一人に最後まで光が与えられなかったという点で、異色。有馬稲子が演じる娘は、自分が抱えている問題を父、姉に打ち明けられない。二人とは住んでいる世界が異なる。姉は、夫との不仲の為、子供を連れて実家に帰っている。唯一打ち明けられそうな存在は、父の留守中家族を捨てて他の男と出て行った母親なのだが、何故か、小津はこの2人の心を通わせるという展開にしない。娘は事故で死んでいく。この映画では、家族の中心人物で、家庭をまとめているはずの人が出てこない。最後に、娘の姉は、不仲な夫のもとに戻る決心をする、というのが微光。

小津安二郎の他の作品のネガ写真のような映画でした。小津を理解する為に、見たら良い映画です。

道化と聖顔とサラ

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今週の日曜美術館ジョルジュ・ルオー “聖顔”に込めた魂の救済」で拾った話。
ルオー が聖顔=キリストの顔の他に道化もよく描いたのは人間皆道化、キリストも道化に降誕したから尊いと考えたから。そして信仰の証しとして聖顔を何枚も描き続けたが、教会にはあまり行かなかった。
そうか、そういう信仰もあると感じ入った。

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また、この絵がサラ、アブラハムの妻と知ったのも収穫。
サラは90歳のとき、幸福に満たされながら、まさに約束された日取りにイサクを産んだ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9
というのも面白い。奇跡は虚構、聖書もキリストも物語。信仰は物語を信じることかも。
 

瞑想と平均律クラヴィーア曲集

毎週Eテレ「こころの時代」録画しているが今週は

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タイで出家した日本人僧侶プラユキ・ナラテボーさん(56)。手動瞑(めい)想を通して、「今に気づく大切さ」と、その根底に流れるブッダの教えを読み解く
https://tv.yahoo.co.jp/program/?sid=13739


面白かったのは「過去や未来に捉われたり思い煩うから苦しみや悩みが生まれる」という意味のことを言っていたこと。「明日を思い煩うな」イエスと一緒やんかあ、仏教とキリスト教は通底してるんだあ。
そこでネット検索してこれをもう少し具体的にした記事発見。


「記憶」や「予想」でものごとを見て、そこに意味づけをして、好き嫌いの反応を繰り返しているうちに、だんだんと心がクセづいてきて、「私は、**な人である」とか「私は、**が好きである」とか、「私は**」、「私の**」と、「自我」が生まれる。「自我」は、生きていくのに必要なもの。でも、「自我」だけで生きていくと、「私は**だから、〇〇はできない」とか、「私には、それはムリ!」って感じで、自分の可能性を閉じ込めちゃうことにもなる。
https://blog.goo.ne.jp/kizukinomeisou/e/f553794c7932f3147375920f534c092d
自我は生きていくのに必要だけれど、下心=記憶や予想にまみれている、このまみれを取り除いて真心=客観的に自我観察、苦しみや悩みの縁起を知ろう。サザンも歌っているではないか「恋は下心、愛は真心」と。
閑話休題、このところ平均律クラヴィーア曲集をほぼ毎日4曲ずつ聴いている。お陰様で悩み、苦しみはあんまり無いがいつか真心には到達したい。瞑想やマインドフルネスは苦手だけれど無味感想平均律を「いまここ」に気づく瞑想ツールとして聴き続けよう。ありがとう、バッハ、仏陀、イエスよ。

マラ9西宮交響楽団

三夜連続芸文の際に見かけたチラシ

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マーラー9番ライブやんかあ、どうしようかなと少し考えて、28日はヨーカ堂ハッピーデー5%引き、芸文ライブを楽しんだ後甲子園なるシナリオが閃きライブ決定。問題は駐車場、いつも使っているエディオンが土日は最大料金無し。そこで一昨日エディオン裏手に最大料金千円を見つけておいた。
先刻YouTubeバンスタウィーンフィル第一楽章をリマインド済み。続く楽章はジムウォークBGM所存。