天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

スマナサーラ「死に方入門」

Amazonプライムビデオで「死に方入門」スマナサーラ発見。

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講演145分→死は避けられない現実なのにそれを恐れたり拒もうとするのは単なる感情。理性で死を捉えよというのが趣旨。
でもなあ、理屈ではそうだが気持ちとして納得できんよと思っていたら「死は管轄外」なる言葉がビビっと来た。
「納得して死にたい」という思いを以前からずっと持っていたが、死は俺の管轄外なのだからそんな思いは余計な感情だと気づいた。俺の死は俺の知ったことではない。死はいつ来るか、突然明日かもしれないし何十年も先かもしれない。そんな不確定な死を思い患うな、管轄外として切り捨てようと納得したのだ。
以下、聴きながら長い講演だなあと思いながら検索して発見したツイログ。

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https://twilog.org/jtba_talk/month-1504


死ぬことについて心配するのはやめてください。それは管轄外。自分の身体が寝たきりになっても微笑んで生きていられるか、愛着を捨てて穏やかに生きていられるか、というのが私たちの課題なんです。
https://twitter.com/jtba_talk/status/593236969687097346?s=21
身体に対する愛着・執着がなければ、こんなもんや、管理できないもんや、と落ち着いていられます。死ぬことは、なんのことなく明かりが消えるようなもの。しかし肉体は壊れても、心は新たな命を構成します。だから、肉体はどうあっても心は豊かに、というのはブッダの教えなんです。
https://twitter.com/jtba_talk/status/593236488072003584?s=21
二番目に、私たちに管理することができるものがある。自分の心です。怒らないこと、欲ばらないこと、嫉妬しないこと、穏やかな気持で落ち着いて生きる事は、訓練すれば自分にできます。生きるか死ぬかというのは自分で管理する世界ではないんです。肉体が壊れて死ぬのはどうってことないんです。
https://twitter.com/jtba_talk/status/593235963867856896?s=21