天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

一瞬よりはいくらか長く続く間

思春期の頃、ええカッコして読んでいた大江健三郎、「万延元年のフットボール」あたりで縁が切れてしもたが最近復活。

100分で名著「燃え上がる緑の木」を観ていて気に入った言葉


「一滴の水が地面にしみとおるように」がいいなあ。大河どころか小川にも参加する気は全くなく「自分ひとりの場所」をセコく暮らしている俺を正当化してくれる言葉だ。

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原作を読む気は全く無くてNHK本購入、読んでいたら見逃し聞き逃していた言葉に出会った。かなり長い文章をコピペさせて戴く。


……この一瞬よりはいくらか長く続く間、という言葉に私が出会ったのはね、ハイスクールの前でバスを降りて、大きい舗道を渡って山側へ行く、その信号を待つ間で…… 向こう側のバス・ストップの脇にシュガー・メイプルの大きい木が一本あったんだよ。その時、バークレイはいろんな種類のメイプルが紅葉してくる季節でさ。シュガー・メイプルの木には、紅葉時期のちがう三種類ほどの葉が混在するものなんだ。真紅といいたいほどの赤いのと、黄色のと、そしてまが明るい緑の葉と…… それらが混り合って、海から吹きあげて来る風にヒラヒラしているのを私は見ていた。そして信号は青になったのに、高校生の私が、はっきり言葉にして、それも日本語で、こう自分にいったんだよ。もう一度、赤から青になるまで待とう、その一瞬よりはいくらか長く続く間、このシュガー・メイプルの茂りを見ていることが大切だと。生まれて初めて感じるような、深ぶかとした気持で、全身に決意をみなぎらせるようにしてそう思ったんだ……


それからは、自分を訓練するようにして、人生のある時々にさ、その一瞬よりはいくらか長く続く間をね、じっくりあじわうようにしてきたと思う。それでも人生を誤まつことはあったけれど、それはまた別の問題でね。このように自分を訓練していると、たびたびではないけれどもね、この一瞬よりはいくらか長く続く間にさ、自分が永遠に近く生きるとして、それをつうじて感じえるだけのことは受けとめた、と思うことがあった。
……


自分がこれだけ生きてきた人生で、本当に生きたしるしとしてなにがきざまれているか? そうやって一所懸命思い出そうとするならば、かれに思い浮ぶのはね、幾つかの、一瞬よりはいくらか長く続く間の光景なのじゃないか? 


……私としてはきみにこういうことをすすめたいんだよ。これからはできるだけしばしば、一瞬よりはいくらか長く続く間の眺めに集中するようにつとめてはどうだろうか? (大江健三郎『燃え上がる緑の木 第一部』)


死ぬのが怖いという少年に大江健三郎の分身らしき小説家が語る言葉だ。「一瞬よりはいくらか長く続く間」でいいから深々と味わうことに出会ったら永遠の死に拮抗できると少年を励ます。ついでに俺も励まされる。そうかほんのちょっとの時間でいいんだ音楽の感動は、謹聴していてもすぐ雑念妄想に囚われる俺を正当化してくれる。


これで大江健三郎から貰った言葉は3つ。
祈りは集中すること
「一滴の水が地面にしみとおるように」生きよ
「一瞬よりはいくらか長く続く間」感動があれば十分
さて今朝も平均律クラヴィーア曲集こんどはヴァルヒャを聴いた。「一瞬よりはいくらか長く続く間」感動したか。