天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

天正遣欧少年使節と活版印刷

Amazonプライム・ビデオ「MAGI 天正遣欧少年使節」が面白かった。

f:id:doyoubi92724169:20190130050533j:image

https://www.amazon.co.jp/dp/B07MTD5VTV/ref=dvm_jp_pv_sm_tw_002289
とりわけ記憶するべきは少年使節ローマ法王との謁見。キリストの愛とは何か、汝の敵を愛せよとのキリストの言葉があるのに教会は何故異端を火炙り抑圧するのか、ガリレオを裁いたのか、また、奴隷制度を黙認するのか←当時日本人奴隷が多くゴア等に売られていたらしい。
少年使節はこうした真摯な問いを法王にぶつける。これに対して法王ほ率直に非を認めて少年たちを感動させる。
これが史実か否かはわからないが、原作本「クアトロ・ラガッツィ」若桑みどりは考証資料をきちんと読み込んだ本みたいだ。
http://e-satoken.blogspot.com/2009/06/500.html
更には少年使節グーテンベルク印刷機を日本に初めて持ち込んだことをこのドラマで知ったのも収穫。


彼らは、ヨーロッパからグーテンベルグ活版印刷機も持ち帰っていた。それを使って、さまざまなローマ字、漢字・仮名による印刷物が刷られた。いわゆるキリシタン版と呼ばれるものである。これらの活版印刷は、次々に出されるバテレン追放令やキリシタン禁教令などの影響で、印刷が禁止されたり、印刷機マカオなどの海外に移されたりして、急激に下火になっていく。そして、ついには途絶えてしまうことになった。次に、この火が再び灯るのは、幕末から明治維新の頃まで待たなければならない。
https://letterpresslabo.com/2016/10/10/magazine-first-letterpress-printing/


キリスト教禁教令及び鎖国は当時の世界情勢からしてやむをえないとしても少年使節が持ち込んだ活版印刷が廃れたのは非常に残念だ。その後の西洋産業革命の大きな起動要因は情報流通←活版印刷だからだ。
1439年 グーテンベルク活版印刷発明
1522年 ルターのドイツ語聖書出版
1590年 天正少年使節帰国
1687年 ニュートン 「プリンキピア」刊行