天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

ドビュッシーとパリの詩人たち

昨日の阪大ワンコイン、いつもは予習して行くのに鬼門ドビュッシー増してや歌曲となると予習意欲喪失、それでも退屈せずに楽しめたのはライブ最前列のお陰。残り少ない時間をドビュッシーバルトーク二大鬼門を少し聴き込もうとほんのちょっぴり決意した次第。 

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運命のいたずらによって、少年時に呪われた詩人たちの仲間に引き入れられたドビュッシー。第1部では、詩人たちとの親密な関わりを追いながら、「音になる言葉」へのこだわりを探る。第2部は、ドビュッシーの日本受容の1例として、1928年5月12日、没後10年を記念して開かれた照井滎三独唱会のプログラムを完全再現!
https://sites.google.com/onecoinconcertforall.com/occa-japanese/受付中のコンサート/青柳いづみこドビュッシーとバリの詩人たち


また、ランボーヴェルレーヌ事件なるものを知ったのも収穫。そしてまた、照井栄三なる歌手についてもメモっておく。


「やたっ!!」とばかりに旅支度をする傍ら天才・ランボー君が書き上げたのが、フランス文学史上に燦然と輝く名作「酔いどれ船」であります。パリの詩人たちは、この傑作にド肝を抜かれます。このときランボー君は、16歳。「誤った道」を恐れていたはずのヴェルレーヌは、この危険な魅力の少年にアッサリ降伏。恋のドツボにハマッてしまうのでありました。
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/historical-gay/entry-10222816749.html?usqp=mq331AQGCAEYASgB


渡米後様々な職につきながら暮らしていた照井は声楽に出会い,1919年(大正8年)に渡仏する。2年間バリトン歌手の元で声楽を学んだ照井は帰国,大阪を中心に活動した。
http://www.city.morioka.iwate.jp/shisei/moriokagaido/rekishi/1009526/1009578/1009602.html