天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

キリストは死の縄目につながれたり

リヒター有名カンタータ集からコラール変奏曲カンタータ「キリストは死の縄目につながれたり」BWV4。

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リヒターの演奏は詩情あふれるもの。キリストの受難により我ら救われたりといういささか複雑な情感が迫る。冒頭合唱歌詞は次の通り。


キリストは死の縄目について
私たちの罪のために渡された。
彼はふたたび命にかえって
私たちに命をもたらして下さった。
私たちは喜ばずにはおられない、
神を讃美し感謝して、
さあ、ハレルヤと歌おう、
ハレルヤ。
http://okimideiko.blog.fc2.com/blog-entry-523.html?sp
キリストの死が我々に命をもたらした。命が死に勝ったという意味の歌詞もある←キリストのお陰で我々は死の恐怖から逃れられたと理解すればいいのだろう。念仏を一心に唱えれば浄土へ行けるとする浄土教と同じかも。


そこで去年の今日に書いた駄文からコピペ。
 
エスの受難も贖罪も昇天も復活も再臨も最後の審判も全てはこの世の物語。南無阿弥陀仏も含めて全ての宗教はこの世の物語。人間は何かの物語を抱いていないと人生=事実を生きられないのだ。
 
死で全てがお終いという事実に人は耐えられないから宗教物語する。でも俺は事実を素直に受容して生=事実を全うしたい。人間死んだらタダのゴミ。それで何の文句もないぞ。


YouTubeにBWV4の動画を見つけた。リヒターもいいけれど音楽は眼で鑑賞するものでもある→美形発見。