天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

篠田正浩「沈黙」

篠田正浩にも「沈黙」があったのか。音楽は武満徹

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ただし、篠田版は遠藤周作自身が脚本に関わり、原作にはない描写が加えられています。

それはキリシタン武士・岡田三右衛門(入川保則)とその妻・菊(岩下志麻)の存在で、江戸幕府は捕らえたロドリゴを転宗させるため、岡田を拷問にかけ、夫を救うために菊は踏絵をしてしまいます。

この事態を目の当たりにしたロドリゴは大きなショックを受け、後々の展開に大きく影響を及ぼしていきます。

MS版では岡田夫婦そのもののエピソードはありませんが、その存在は語られ、篠田版とは違う意味でドラマに大きな影響を及ぼすことになるのですが、これ以上は記しません。

https://cinema.ne.jp/recommend/silence2017012110/

身終えて所感→篠田作品のラストは予想外。唐突、誤解を招くと思う。

 


 遠藤周作の「沈黙」の重点を読み解くために、自身が脚本も務め、自身の「沈黙」の孫のようなものと呼んでいた篠田正浩版の映画「沈黙」を挙げたいと思う。この篠田版の「沈黙」はなんとロドリゴが棄教後に、未亡人となった女性を妻に娶り、その妻と求めあうシーンで幕切れとなるのである。ここから推察できるのは、やはり遠藤周作は、「父性的キリスト像」から「母性的キリスト像」への転換に一番重きを置いていたのではないかと言う事である。女性と交わるというのは、彼が西洋的キリスト教を棄教したことを端的に表す象徴ともいえる。また女性との交わりは、「母性的キリスト像」との融合という意義を孕んでいる。つまり、尺が限られる中で、自身が脚本を務める映画版で彼が最後のこのシーンを持ってきた点で、彼の主題の重きはあくまで、日本と西洋のキリスト像の「距離感」であり、その転換と調和にゴールを設定したのである。

http://www.club-typhoon.com/archives/11126975.html?p=3