依他起性、南無楊貴妃菩薩
携帯の待ち受け画面に楊貴妃菩薩。この菩薩様を拝みながら南無観世音菩薩と唱えている。
そして心に浮かべるのは依他起性。
『自分』以外のもう無量無数の縁によって生きている、否、生かされてあるということに気づくとき、では、『自分』というものは一体なにか、自分という『もの』が本当にあるのかと問い直してみましょう。すると真ん中に円で描かれている『自分』という言葉で語られた『もの』は消えてしまいます。そこを、仏教は縁起の故に無我であると言い、<唯識>は依他起(えたき)の故に無我であると説くのです。
<唯識>は、『縁起』、すなわち『縁によって起こる』という表現を、『依他起(えたき)』、すなわち『他に依って起こる』と言い換えました。」
春風や生かされているこの私 成仏とは無我のことなり。
そして、この世で出会う全ての皆様、物事は俺の菩薩様。だからどんな事があっても仏様のお導きと思えるようになりたいものだ。
観音は、人を救うとき、三十三種類の姿に身を変えて救う。帝釈天や毘沙門天や阿修羅や。この観音の三十三化身を受けて、三十三種類の観音が成立する。なかでも、末法の時代が始まると考えられた平安時代には、来世は少しでもいい処に生まれ替わりたいと、特に地獄に落ちる恐怖からは逃れたいと、六種類の来世に生まれ替わるという六道輪廻(ろくどうりんね)に対して、六観音信仰が生まれた