天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

メンデルスゾーン オルガンソナタ6番

毎週月曜お昼は東梅田教会パイプオルガンミニコンサート。

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コンサートが毎週月曜日に開かれています。天井まで12メートルあるレンガ造りの
礼拝堂でのパイプオルガンの響きをお楽しみ下さい。なお演奏時間内には、自由に
礼拝堂に出入りしていただけます(コンサートの演奏は12:20~12:50です)。
http://www1.odn.ne.jp/higashiumeda/pipeorganminiconcert.index.html
30分の凝縮時間、礼拝席最前列右端に座って後ろを見上げながら聴いている。この春、初夏のテーマはメンデルスゾーンで、昨日の曲はオルガンソナタ第6番。


この曲は、大きく分けて3部構成となっており、それぞれ、コラール変奏曲・フーガ・終曲(フィナーレ)である。
第一部は、コラール「Vater unser im Himmelreich(天にまします我らが父よ)」の主題に基づく変奏曲で、
https://blog.goo.ne.jp/pingzebu/e/3a66b3e6f6b4f5d5488823411e19721d
バッハの複雑精緻ポリフォニーではなく聴きやすく且つロマン派の自己陶酔グチャグチャこびりつきがないのでさっぱり風味聴きごたえある宗教曲。
そこで今朝はスイス放送合唱団のコラール演奏に続いてこのオルガンソナタを付加して復習用PL作成。
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いつか時間を設けてメンデルスゾーンのオルガン曲を集中謹聴したいが、暇人は相撲も野球も映画もFM録音消化もあるし多忙なり。
 
 

気分は京響エキストラ

京響定期←いつものP席、昨夜は2列17番。

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昨日と今日の京響は「第634回定期演奏会」の本番でした。
カーチュン・ウォンさんの指揮のもと、
吉松隆作曲「鳥は静かに…」と、
ラグンヒル・ヘムシングさんの独奏による
シベリウスのヴァイオリン協奏曲、そして、
フランクの交響曲ニ短調という充実のプログラムを
じっくりとお聴きいただきました☆

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https://www.kyoto-symphony.jp/blog/?m=201905
上の写真を拡大したら映っているやないか、ええ記念になった。京都コンサートホールP席←会員割引1800円、京響メンバー気分で指揮者をじっくり観察できる。難点は管楽器とりわけ木簡の後ろ姿しか見えないことやけど。
N響藤森亮一さんが客演首席だったのにちとびっくり。

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隣の植物園で薔薇、そして京響オケエクストラ気分の一日やった。
 

シュープラーコラールそしてクニャーゼフ

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吉田恵アルバムをベースに聴き比べPL作成。そもそもシュープラーコラールとは
シュープラー・コラール集(Schüblerschen Choräle für Orgel, BWV645-650)は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが1748年~1849年頃に出版した6曲のオルガン・コラール集の通称。出版譜の発行者ヨハン・ゲオルク・シュープラーにちなむもので、正式な表題は「二つの手鍵盤と足鍵盤を持つオルガンで演奏すべき種々の様式による六つのコラール」。
第1曲「目覚めよと呼びわたる物見の声 (Wachet auf, ruft uns die Stimme)」BWV645
第2曲「われいずこに逃れ行かん (Wo soll ich fliehen hin)」BWV646
第3曲「ただ尊き御神のままに (Wer nur den lieben Gott laesst walten)」BWV647
第4曲「わが魂は主をあがめ (Meine Seel erhebt den Herren)」BWV648
第5曲「われらとともに留まりたまえ (Bleib bei uns)」BWV649
第6曲「主を頌めまつれ (Lobet den Herren)」BWV650
以上、ウィキから抜き書きコピペ。BWV545は超有名曲耳タコ。それ以外はあまり聴いたことがなかったので良い機会になった。
PLに組み込んだアーティストは吉田恵の他にヴァルヒャそしてクニャーゼフ←チェリストとして有名だがオルガンも演奏する悲劇奇蹟のアーティスト。


これだけの経歴を並べてもかなりおなかいっぱいですが、彼のドラマはそれだけでは終わらなかった。
94年32才の時その悲劇は起こる。
南アフリカでの演奏旅行の際、移動中交通事故に遭遇。
最愛のパートナーエカテリーナ、そして愛用のチェロを失う。
みずからも重傷を負い心身ともに再起不能状態に・・・・。
しかしこのまま彼の才能を埋もれさせてはならぬと著名な音楽家たちが彼に手をさしのべるのでありました。
97年ショスタコーヴィチ音楽祭でみごと世界に復帰
http://masterofseikouudoku.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/alexander_kniaz_8a6d.html
芸文で彼のロココ風ライブ一度聴いているのだが、その時はそんな事情など全く知らなかった。ショスタコ10番ヴェデルニコフ目当てで行ったのだった。そうそう、オルガンでゴルトベルクを弾いているアルバムがSpotifyで聴ける。

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バッハ:ゴルトベルク変奏曲
アレクサンドル・クニャーゼフ(オルガン)
https://www.hmv.co.jp/news/article/1605210006/


 

Soli Deo Gloria

鈴木雅明盤をベースにしたクラヴィーア練習曲集第3部の学習終了。最後に作成したPLは4つのデュエット第4番イ短調BWV805。

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ヴァルヒャが心に沁みた。というのも鈴木雅明の次の言葉を読み返していたからだ。ちょっと長いけどコピペする。


ひょっとしたらバッハは早くから自分の死というものを考えていたのではないでしょうか。いずれ人間は死ぬのだからというような、自分の人生を振り返ってみて、というような思いがあった。死んでからも残す...という、永遠なるものへの志向がバッハにはあった様な気がするんです。ただ、19世紀の作曲家と根本的に異なるのは、自分の作品や名声をのこすというものではなく、もっと抽象的なものだった。結局バッハにとっては、対位法的なエッセンスとか和声や旋律など、音楽にどうしても必要な要素、音楽における原理、つまり美しいものを求める原理は、自分の存在とは別に存在するとバッハは考えていた。自分はこう書けるということではなく、その美しさのエッセンスというのはこういうものだ、物理的にこういう動きだから美しいんだという、いわば森羅万象を司る原理が重要だった。バッハはあのリンゴのニュートンになぞらえて尊敬された。カノンやフーガなどの彼の作品は、彼の技術や能力が「生み出した」ものではなくて、すでに自然界に存在していた「美の原理」を音楽の形にして顕わにしたのだ、ということです。そしてこの「美の原理」はキリスト教的にいえば、神の摂理の中にある。小さな自分が何か感じたとかではなく、もっと大きな価値観の中での営みであった。バッハの音楽がなぜ今日に至るまでこんなに力を持っているかといえば、やはり、そういう普遍性があるからに違いない。
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2018/08/22/090325


バッハにとって音楽は神の摂理の発見。彼が自筆譜にSDGと書いたのも上の鈴木の言葉を噛み締めれば納得がいく。

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彼は自筆楽譜の最後に「SDG」というサインを残しました。「Soli Deo Gloria」の略字で「神のみに栄光あれ」という意味です。弟子たちに教えるときにも、「音楽の目的は第一に神に栄光を帰し、そして、隣人に喜びを与えることだ」と繰り返し語ったと言われます。
http://www2.plala.or.jp/Arakawa/christian04.htm


バッハのように造物主=神を信仰することは到底あり得ないが、俺の人生に音楽を与えてくれたご縁→他力はリスペクトしよう。全てはご縁、人様のお蔭。

 


 

内容を聞くな、形式を聴け

クラヴィーア練習曲集第3部聴き比べPL作成も最終章、4つのデュエットBWV802-805に差しかかった。BWV802PL作成謹聴の後、懸案の難解バルトーク弦四第4番ケラーQを聴いたら難解氷解!拒否反応無しで聴けたのだ。感じ入るとまでは言えないが面白味は感じた。内容はさておき形式に着目したからだ。
音の上昇下降、反復、モチーフの聴き分け、対比その他形式にのみ耳を傾ければバルトーク弦四も面白く聴ける。これは発見だったなあ。夫婦喧嘩に例えると相方の言い分は無視して外見的な事柄→表情身振り顔つきのみを観察するようなものだ。
つまり、音楽=内容理解+形式観察と分解すれば形式観察のみ謹聴ということだ。
これで我が音楽方程式完成。


ところで屁理屈→音楽方程式。
音楽=ヒロイズム+ロマンチシズム+祈り+祝祭+ドラマ
これでショスタコマーラーもベートーベンもバッハも割り切れると思っていたが、バルトーク=実存的不安をどこかに嵌め込まねばならんなあ。
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2018/06/28/060526
バッハを聴きながら「祈る」のではなく、ここは「内省」とするのが正しいと思い至った。
音楽=ヒロイズム+ロマンチシズム+内省+祝祭+ドラマ
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2019/04/26/050237


音楽=ヒロイズム+ロマンチシズム+内容理解+形式観察+祝祭+ドラマ


思えばバッハもバルトークも形式だけを愉しめる音楽。いや、音楽にはそもそも内容なんか無いのかもしれない←内容は聴き手の勝手。さあこれでバルトーク弦四愉しむぞ。
ところでBWV802聴き比べ過程でトリスターノ発見。

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クラシック、テクノ、コンテンポラリーと縦横無尽に「音楽」を奏でる奇才、トリスターノの記念すべきメジャー・デビュー盤。
https://www.universal-music.co.jp/francesco-tristano/products/uccg-52119/


スイングしてるよこのピアノ。リズムも形式美の重要な要素と実感した次第。


 

バルトーク弦四と格闘中

バルトーク弦四第4番をここ数日何度も謹聴するも未だあまり魅力を感じず。最初はベルチャ Q次に東京Q、ネット検索したらケラーQがいいとの情報があったので未知の四重奏団なれど探し出し謹聴。
二回聴いてようやく終楽章激しさに感じたが、他の楽章はなかなか届いてこない。
そこでライブ演奏アルカディアQあるかなとSpotify検索。

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あったあったよバルトーク全集。終楽章聴いたけど沢山聴きすぎて耳がパープリン状態。明日未明早朝にまたチャレンジ所存。バルトークへの道は遠い。

バルトーク弦四第4番

半世紀前に名曲喫茶日響のお陰で目を開かれたベートーベン後期弦四の世界。ベートーベンに次いで弦四で好きなのはショスタコ。全曲ライブも3回ぐらい行ってるなあ、最近は疲れるのであまり聴かないが、バッハを貪り尽くしたらいつかまた。
そんなことを思っていたらフェニックスホール からDM。


世界をリードする弦楽四重奏の響宴
大阪プライズウィナーシリーズ
3年に一度開催される室内楽の祭典「大阪国際室内楽コンクール」。
そこで入賞し、世界中で活躍を続ける弦楽四重奏が大阪に帰ってきます。
大阪が輩出した世界レベルの弦楽四重奏を、
ザ・フェニックスホールの贅沢な空間でお楽しみ下さい。
http://www.kojimacm.com/digest/190523_200411/190523_200411.html
これはオモロイと早速通し券購入。第1回アルカディアQライブが近づいてきたので予習開始。

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あの感動の名演が忘れられないベルチャ Q
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2019/02/01/080554
バルトーク4番←バルトーク弦四は鬼門なんだよなあ。
面白いメロディは出てこないし、ドラマとしても感じられない、難解駄作バルトーク
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2018/10/19/045631
今朝、何回か聴き込んだら味がわかりそうな気分になってきた。下の記事も参考になる。


第3楽章
この作品全体の中心となる楽章です。この楽章はいろいろな断片が寄せては消えていく感じの曲ですね。なんというか、非常に東洋的な雰囲気を感じます。
伴奏の怪しい伸ばしの様子はまるで「雅楽」の笙の演奏を思わせますし、その伴奏の上でチェロそしてヴァイオリンのソロが歌っていく様は、尺八などが変幻自在に歌っているような、幽玄の世界を思い浮かべてしまうのです。
https://s.webry.info/sp/cla-pa.at.webry.info/200906/article_5.html
本番当日まで毎朝予習しよう。ついでに3番5番も聴き直してみよう→鬼門克服、勉強好きな優等生。