天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

無分別のすすめ

健太郎の日記/森政弘「二元性一原論」

毎週日曜Eテレこころの時代を録画チェックしているが、今週はあのロボコンの発案者森政弘登場。全文文字起こし記事を見つけたのでエッセンスをコピペ。

ナレーター:  森さんは、「対立する二つのものを一つ」と、とらえる仏教の考え方を「二元性一原論」と呼んでいます。
丸井:  二元対立の二元ですね。
森:  はい。これ二元ですね。この「原」が大事なんです。「二元性の一原論」の「原」が。急に全体の話になりますが、結局我々こう二つの世界というかな、さっき挙げましたね、大と小の対立の―それで大きい方のあれでいくと、全宇宙になるんですね、それが。その全宇宙というものを知らないと、本当の仏教がわからないんじゃないか、と僕は解釈している。実際全宇宙というものは、実は自分も入っているわけです。そうすると、ここが難しいとこです。一つは仏教の、本当にわかるか分からない、のもう峠ですけど、言葉で言っちゃうと二つになっちゃう。対象になるから。だから言葉で言えない。黙っているよりしょうがない。表現したら、それでなくなる世界があるんです。これが「無」とか「空」という実の世界。

オモロイなあ、このオッサンと思ってKindle検索したら著書に「無分別のすすめ」なる本がある。俺も先日

人生=分別(損得、好き嫌い、善悪、理非)+無分別(苦楽、美醜、虚実)が見えた。自力=生活は分別、他力=人生は無分別をもってよしとするということだ。
そして、死を厭う心もまた生死分別なのだから、無分別をもってすれば俺が長年求めていた納得して死ねる境地に至る。ふふ、これも分別なのだが。

と書いたばかりなのでサンプルダウンロードして読んでみた。そこでこれまたエッセンスコピペ。

「だが 、そのように言語はわれわれにとって必要不可欠な大切なものだからこそ 、それを一度否定してみる必要がある 。それが無分別でもある 。あるいは 、車は 、走らせる作用のアクセルと 、その反対の止める作用のブレ ーキとの両方があって 、はじめてスム ーズに走ることができるように 、人間のコミュニケ ーションは 、言語の世界と言語を否定した世界との両方が必要であると言ってもよかろう 。言語の否定の第一歩は 、言葉の危険性 、言葉のトリック性を知ることから始まる 。これが無分別への入門である」

—『無分別のすすめ 自在に自分を動かす (PHP文庫)』森 政弘著

分別はアクセル、無分別はブレーキとはなるほど我が「分別無分別二本足」を肯定してくれてるわいと意を強くした、気分よし。

幸代の返信/相変わらずアホ、健太郎

老人の暇潰し屁理屈が好きやなあ、健太郎。ウチとアンタとはアクセルとブレーキやで。たまにはアクセル吹かしてみな。

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