天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

欲望から使命への転換

スナック幸代にて ビックラポンの要介護1

 

介護認定結果が届いてな、ビックラポンの要介護1
あんまり実感持てないけど、美枝子フツーに見えるけどなあ
うん。自分のことは自分でちゃんとでけるよ。ただ、次から次に忘れるのよ。
この程度やったら自立か精々要支援1やろと思てたからビックラポンや。かかりつけの医者が大袈裟に意見書書いてくれたかもな
そうか、介護サービスが使えるようになって喜ぶ人もいるかもしれんもんなあ
そうそう。自己負担も必要やから俺はすぐ使おうとは思わんけどな。
ケアマネを何処かに頼むんやろ
早速、サ高住に連絡したわ、介護保険に詳しい担当からの連絡待ちや。ケアマネが付いたら安心やな
相変わらず素早いな
そやで。生活は如才なく分別合理的に、人生は無分別に。これが俺のキャッチや

そして生活は分別、人生は無分別に。だから
人生=固有分別生活(損得、好き嫌い、善悪、理非)+普遍無分別人生(苦楽、美醜、虚実)
いつか普遍からの召命=死が来れば固有分別を気楽に捨てよう、俺は無分別そのもの普遍になれるんや、

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健太郎の日記 欲望から使命への転換

 

このカラヴァッジョ 「マタイの召命」を俺の「欲望から使命への転換」のシンボル絵画にしたろ。マタイがイエスに召されたように俺は無=神=普遍に召されてるんや。この召命に誠実に応えることが俺の虚実の証明になる。人生の意味は召命にあるんや。


要介護1に認定される人は、身だしなみや清掃など、日常生活や身の回りの世話などに手助けが必要です。具体的には、足腰が悪く立ち上がりに時間がかかったり、足の運びが悪いために伝い歩きや杖を必要としたりする人などが該当します。
しかし認定の基準は身体機能だけではありません。理解力や判断力の低下があるために、家族の介護の手間が発生している場合には、要介護1の判定が出ることもあります。
たとえば、保険証や通帳などをたびたび紛失して再発行してしまう人、都合の悪いことを頻繁に取り繕うために介護の手間が掛かってしまう人などが該当します。ほかにも、ひとりで飲み薬の管理ができるか、金銭の管理に不自由がないかなども、要介護認定では評価ポイントのひとつです。
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