天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

内省から俯瞰へ

健太郎の日記 風景を見るように音楽を聴く

 

このところ自分のこのツイートが気になっている。


私たちは自分から対象的にものを見ていくでしょう。そうじゃなくて、全宇宙から自分の存在を見ていく。だから宇宙からものを見ていくという逆転の考え方
人生は固有から普遍への旅、死は普遍からの召命、そして召命に納得して応じるためには、対象的に世界を見るのを逆転させて、世界の方から自分を見ていくことが必要なんや、言わば視線ベクトルの転換すなわち「自己→世界」から「世界→自己」への転換やな。これを「内省から俯瞰へ」と名付けよう。

とすると、音楽の聴き方も当然に変わる。


音楽=ヒロイズム+ロマンチシズム+俯瞰+祝祭+ドラマ
思えば遠き昔、アカにかぶれた高校時代、社会主義リアリズム頂点交響曲5番ショスタコーヴィッチ に電撃を受けて、ヒーロー気分、ロマンチックに憧れてクラシック音楽を聴き始めた。それが今ではヒロイズムもロマンチシズムももう沢山。普遍からの召命に応じるためには音楽も内省ではなく俯瞰しつつ聴かなアカン。まるで風景を見るごとく音楽を聴こう。

とはいえ昔の左翼気質は体内にいまだ残っていて我が青春の左翼映画「戦争と人間」をAmazonプライム・ビデオで見つけて懐かしく見始めた。


Amazonプライムでは韓国ドラマ「ベートーベンウイルス」もオモロイ。

サ高住への引っ越しついでにテレビを買い換えることにした。人生最期のテレビや、堪忍したろ。

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幸代の日記 屁理屈ウザい

 

健太郎がLINEで屁理屈を送ってくるのがウザい。内省から俯瞰へとかなんとか書いとるけどウチにはなんのことか全くわからん。ウザいのんやめてえなあと言うたら「お前、まだ俺のことが好きやろ。高校時代にラブレター寄越したやんか」やて。古傷をネタに押し付けるなんて卑怯や。おまけにガキの頃の写真まで送ってきよった。ホンマ自己中や。