天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

第3作「ロンリー・チャップリン」

泰彦の日記

 

予想もしなかった高血糖2週間入院を経て俺の生活習慣は変わった。まず、飲酒。毎晩多量飲酒が諸悪の根源とようやく思い知って休肝日設置、リズムは三拍子→飲んだら2拍は休肝を理想としつつも実態は二拍子。これでも大改革と胸を張っている。
そして毎朝の日課30分ウォーキング含む10階までの上がり下り。BGMはいつも古楽の楽しみ録音平均律クラヴィーア曲集第2巻全曲。

これが飽きないんやなあ、いや、飽きないどころかポリフォニー、フーガを何回聴いても記憶→脳内イメージ形成できず、聴けばたちどころに曲名は×番嬰ニ短調と答えたいのにとてもとても。毎日こうして聴いてたらいつかは、というのが我が希望や。

今朝も平均律聴いてて愕然と思い到った。何故、平均律は飽きないのか、それは聴き手の想像力を刺激するからなんや。
精緻なポリフォニーの中の一音一音を聴き取ろうと努力しつつ曲の抽象的イメージを脳内に描く。このプロセスが想像力の働きなんや。
これに比べたらロマン派のシンフォニーなどは単純よ。所詮は対立、葛藤、闘争の音楽に過ぎへん。俺はもう聴き飽きた。バッハの音楽に単純な二元対立があったら挙げてみな。

ということで芸術の面白さは想像力喚起→受け手の責任。そやけど、送り手は受け手がどのように想像力を働かせるのか、そこをしっかり考えて作らなアカン。よし、これで第三作「ロンリー・チャップリン」にとりかかるぞ。

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芳雄のメール

 

処女作第二作、読んだで。おまえらしい小噺やった。情景描写も人物描写もないから小説とは言えんけど、まあそれなりに考えたストーリーにはなっとる。今度は何を書くんや、期待せんと待ったるわ。
ところで思たんやけど、人生には三つの事がある。


俺は芸事には全く縁がないし、仕事も早期退職に応じてケツ割りしたし辛うじて色事だけかなあ、もう二十年前になるけどあれは修羅場やった。ほんの遊びのつもりやったのにものの弾みはオソロシイもんや。

あいつも俺も自己中自己愛やったもんなぁ。それでいて話しはオモロかった、一緒に暮らしたらさらにどんだけオモロイやろと欲を出したのが修羅場の素やったな。
足るを知る、おまえはそれがでけるよ。欲求不満酸欠になりそうやったら小噺で発散しなはれ。俺には芸事がないから精々相場や。CFDで含み損抱えて死ぬまでにはなんとかしたいわ。

全ては仕事全ては遊び。たしかにそうやな。俺も仕事を遊びのように軽快に真面目に楽しんだらよかったな、ケツ割りせんでもよかったかも。
ところで、節子とヨリを戻したくなってもてん。もう二十年前の出来事になってもたけど、節子を未だに忘れられへんねん。オンライン限定デートのみやったらあんな修羅場再現はないヤロ。どない思う?
残り少なくなってくる時間を悔いなく楽しみたいんや。

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節子のメール

 

芳雄ぉお、ビックリしたわよ、突然のFBメッンジャー。あんた知っとんたんやね、ウチがFBにアカ登録してること。20年ぶりやねえ、懐かしくて甘酸っぱい思いがカラダ中に広がったわ。
オンライン限定デート、ウチも賛成。あれから色んなことあった、話したいことようけあるねん。ほんまは顔を合わせて声も聞きたいんやけど行き過ぎは怪我の素、あんたのために我慢したるわ。健気やろ、ウチ。


この短歌、あんたの友だちの泰彦さんの歌やったね。一度だけ3人で飲んだわね、楽しかった。日経歌壇で岡井隆が一等賞で取ってくれたって泰彦さん、自慢してはった。オトコはみんなコドモやねえ。
コドモといえば遠く離れて別居しているウチの旦那もそうや。読むもんいうたらスポーツ新聞だけ、そやからなあんにも話題があれへん、そんな酸欠のときにあんたとツィッターで出会た。誘惑したんはあんたやで、そやのに責任全うしてくれへんかった、この恨み、決して忘れへん。

あーあ、またこないしてウチは誘惑されかかってるわ。今度は責任とってな。オンラインデートの最初にきつうに言うとくからね。

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泰彦の日記

 

こんな夜中に目が覚めてもた。しようがないから小噺完結編を書いとる。昨夜はほんまは飲んだらアカン日やったのに飲んでもた。三拍子のリズム→飲む日一拍休肝日二拍が目標なのに二拍子が大抵や。

こんなくだらんことは読者には目障りなだけや閑話休題、小咄を書くようになってから映画やドラマ更には音楽の楽しみ方が多少は変わった。書き手の気持ち立場で味わえるような気がしてきたんよ。世の中は様々、攻め手と受け手、加害者と被害者、オトコとオンナ、生きてる限りは色んな角度から愉しみたいもんな。

そういえば芳雄と節子。予想通りオンライン限定では済まなくてオフラインにまで突き進んで、また修羅場やっとるみたいや、だから言わんことやない、舞台に上がるとしんどい。舞台に上がりたくなってもぐっと我慢。俺は定年まで更には雇用延長五年、よう我慢した。
そこであの二人にロンリー・チャップリンしたろ。


喜寿過ぎて辿るは下り坂ばかり、ええことなんかあらへん、下向いてたらしんどいばかりや、そやから自分を遠くから眺めるように努めよう。

二千年前に生きたイエスと魂の対話なんてアホくさーと若干嫌気がさすような歌詞だが、これをイエス=希望と読み替えて、神の子イエスがこの世に現れたことこそ希望の根源的理由、イエスを信じることは希望を信じることと思えばアホらしさも相当無くなる。

つまり、どんな時にも死の間際にも私は希望を失わない宣言と読むのだ→おお、そうか、俺の短歌旧作

エロスより出でてエロスに環り来む意味を求めてめぐりし後に

エロス=希望と読み替えればいいのだ。希望こそ生きる理由=意味であった。そうそう、芳雄と節子の修羅場も希望をめぐる争いとも言えるけど。

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