天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

ロンリー・チャップリン 完結編

泰彦の日記

こんな夜中に目が覚めてもた。しようがないから小噺完結編を書いとる。昨夜はほんまは飲んだらアカン日やったのに飲んでもた。三拍子のリズム→飲む日一拍休肝日二拍が目標なのに二拍子が大抵や。

こんなくだらんことは読者には目障りなだけや閑話休題、小咄を書くようになってから映画やドラマ更には音楽の楽しみ方が多少は変わった。書き手の気持ち立場で味わえるような気がしてきたんよ。世の中は様々、攻め手と受け手、加害者と被害者、オトコとオンナ、生きてる限りは色んな角度から愉しみたいもんな。

そういえば芳雄と節子。予想通りオンライン限定では済まなくてオフラインにまで突き進んで、また修羅場やっとるみたいや、だから言わんことやない、舞台に上がるとしんどい。舞台に上がりたくなってもぐっと我慢。俺は定年まで更には雇用延長五年、よう我慢した。
そこであの二人にロンリー・チャップリンしたろ。


喜寿過ぎて辿るは下り坂ばかり、ええことなんかあらへん、下向いてたらしんどいばかりや、そやから自分を遠くから眺めるように努めよう。

二千年前に生きたイエスと魂の対話なんてアホくさーと若干嫌気がさすような歌詞だが、これをイエス=希望と読み替えて、神の子イエスがこの世に現れたことこそ希望の根源的理由、イエスを信じることは希望を信じることと思えばアホらしさも相当無くなる。

つまり、どんな時にも死の間際にも私は希望を失わない宣言と読むのだ→おお、そうか、俺の短歌旧作

エロスより出でてエロスに環り来む意味を求めてめぐりし後に

エロス=希望と読み替えればいいのだ。希望こそ生きる理由=意味であった。そうそう、芳雄と節子の修羅場も希望をめぐる争いとも言えるけど。

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