天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

キリスト教も浄土教も歴史的必然

信じる者は救われるなどというけれど、これは論理的にあり得ない。何故なら、信じる信じないは人間の行為。一方、救う救わないは神の行為。人間の行為によって神の行為が決まることになり、神の絶対性に反するからだ。
そこで神は一方的に人間を救うべくその子イエスをこの世に遣わしめた。とすればユダヤ教からキリスト教が生まれたのは歴史的論理的必然となる。
同様に難行自力仏教から易行他力浄土教が生まれたのも歴史的必然に思えてきた。

 

そして神と阿弥陀仏とを比べると、上から目線神より優しそうな阿弥陀仏の方が好ましい。自己愛大好き自尊心皆無をそのまま認めてくれて、且つ、あの世浄土を信じなくてもいいなら俺は浄土教に帰依しよう、まだまだ死ぬまでに時間はありそうだから。
ということでこの本、二回読了。番組も三回は観てる。著者加藤隆の大柄磊落な風貌に接するのもテレビの功徳。
ちなみに、旧約聖書ユダヤ人の歴史が滲み出ている一例を本書からコピペ。

 

エデンの園」のエピソードにも、さまざまな要素が付加されています。もとは、「知恵」を身につけて「神のよう」になった者が神によって追放される、という王制、特にソロモン王の支配についての批判のたとえ話だったと考えられます。