天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

仲正昌樹の形而上学批判

「そういうわけで私は、形而上学的な諸幻想からの〝最終解脱〟のようなことは目指すべきではないと考えることにしている。取りあえず、これまで自分が無自覚的に前提していたことの無根拠性を自覚し、その前提を取り払った場合、「この私」にとって「世界」がどう見えるか「想像」してみる、という程度のことで満足しておくべきだろう――」

統一教会元信者だった人の形而上学批判。プラトンからフーコーにまで到る哲学者、思想家の紹介にもなっているが、形而上学批判は同じ事の繰り返しのようにも聞こえて読み飛ばしたりした。。
で、ご本人の結論は上にコピペした部分と見た。つまりは、私とあなたは同じ人間、だから話は通じるはず。これも広い意味の形而上学ではあるが。
ついでにカントの形而上学について触れた部分もコピペしておく。

カントは、物理的な因果法則や刹那的な利害関係などに左右されることのない「普遍的な道徳法則」を我々の内なる「理性」が志向しているという前提に立って、自らの道徳哲学を構築しようとしたが、「神」のような絶対者でもいてくれない限り、「私の内なる理性」と、目に見えない「普遍的な道徳法則」の間に対応関係があると信ずるのは困難だろう。

—『〈宗教化〉する現代思想 (光文社新書)』仲正 昌樹著