天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

ドビュッシーは非人情風景画家

ドビュッシー のバイオリンソナタを聴いていて卒然と了解した。
これはドビュッシー の心や感情を表現した音楽ではない。彼はシューマンブラームスなどロマン派と異なり音楽で己の気持ちを表現しようとはしていない。言わば彼は非人情風景画家である。
絵で言えば岸田劉生

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画家岸田劉正は,大正3年(1914)から 5年にかけて代々木に住んでいた。
当時近所であったこの坂を描いた。
これが大正4年発表の「切り通しの写生」(重要文化財)である。

だからスラットキンのこの言葉は誤りだ。


音楽は感情を表現し共有するための手段に止まらない。音楽は音による建築、絵でもある。それが証拠に例えばバッハ 平均律クラヴィーア曲集にバッハの感情表現がかけらでもあるるか。だからバッハもドビュッシー も絵を眺めるように聴くべきだ。

そうか、ドビュッシー に感情表現を聴こうとしていたから難解やったんやあ。