天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

人間が人間であるために レニングラード

2日続けての京響レニングラード、2日目は二階バルコニー席。

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P席と違ってここからは木管奏者の動きが見える←ホントはも少し平土間寄りだと指揮者も木管奏者共によく見えるのだが。
実は当日券、10時から買えると思い込んでチケット窓口に到着したのだがなんと開場時刻1330から売り出しであった。そこで時間待ち→隣の府立植物園の冬桜や梅を楽しんでここには書けない恥ずかしい早い時刻から窓口行列一番乗り。

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発売間近になると座席注文取りをしてくれたのも発見やった。

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さて、演奏。
バーンスタイン「ハリル」は一昨夜ほどの新鮮な衝撃は無かった←打楽器からの距離が幾分離れたことが主因やろ。
そしてレニングラード。P席背後オルガンのバンダ活躍を第一楽章から見られたり、木管奏者動きを観察出来たりしたので、第一楽章をより充実して聴けた。人間の主題と戦争の主題の対比、戦争の主題に最初は浮かれた気分になる愚かさなど第一楽章だけで独立した交響詩になるなと感じ入った。
第三楽章鎮魂コラール←勝手に名付けているが。そして終楽章。


そして、切れ目なくはじまる第4楽章では、
金管楽器のバンダとともに、
大編成のオーケストラが全身全霊を込めて奏でる
ホールを揺るがすかのような大迫力サウンド
勝利のフィナーレが大炸裂~~!!

単純に勝利のフィナーレとは言えないもっと複雑なものを終楽章には感じる。戦争に浮き立つ人間の愚かさやショスタコーヴィチ諧謔も踏まえて最後には人間の主題に立ち戻る、人間が人間であるための問題提起交響曲。彼の5番交響曲→コン畜生スターリンめとA音連打とは次元の異なるものを聴いて終演。


一昨日と同様にホール出口で京響楽員方々が見送ってくれたので「2日続けて聴きました」Vサインしてホールを後にした。


これからはお気に入り曲公演は2日連続チケット予約しような、人生は短い日々是好日。