天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

音楽は理屈とアドレナリン

シェーンベルク入門しようと思ったに、その門は高く、跳ね返されてしまったのが口惜しくて今朝もショスタコ弦四7番、8番の後はシェーンベルク×グールド。

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5つのピアノ曲op.23
ピアノ組曲op.25


作品23を聴き終えて理屈好きの俺には何か知識や理屈を注入せなあかんなと思って「グールド  無調 シェーンベルク」検索で面白い記事発見。


そして、この「12音技法」のみを使って全曲が作られたのが「ピアノ組曲 Op.25」なのです。そして、そうやって作られた音楽を聞くと、おそらく多くの人は不思議な感覚にとらわれるのではないでしょうか。
それは、この「12音技法」を全面的に取り入れることで徹底的に調性の呪縛から解き放たれたはずなので、聞いてみると、そこに不思議な「統一感」のようなものを感じてしまうのです。そして、その「統一感」があるゆえに、一見すると人の心を拒否するような素振りを見せながら、聞き終えた後に不思議なくらい心のひだに食い込んでいたことに気づくのです。

ほうなるほど統一感かあ。感化されやすい俺はもう一度今度はネット検索などしないで謹聴。心の中にシェーンベルクの統一感存在感がちょっぴり生じた。
音楽を理解するということは、その音のドラマが心の中にある位置を占めること。
読書百遍シェーンベルク存在感、明日も聴く絶対に。


ところで上に引いた記事にはこんな部分もあった。


そして、グールドについて言えば、彼もまた数多くの著述を残し、「芸術の目的は、瞬間的なアドレナリンの解放ではなく、むしろ、驚嘆と静寂の精神状態を生涯かけて構築することにある」という言葉は、その様な著述活を根拠づけるものとなっていました。その立ち位置は「ネコほどの知性もない」と酷評されながら「瞬間的なアドレナリンの解放」に全生涯をかけたホロヴィッツとは対極に位置するものでした。


これはオモロイ。ホロヴィッツはアドレナリンピアニスト、グールドは屁理屈ピアニストと覚えておこう。音楽は理屈とアドレナリンとからで出来ている。