天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

世界観音楽と人生観音楽

今朝も昨日と同じくバッハ→ショスタコメシアンの順で聴楽しようと思いイギリス組曲ペライア2番ニ短調、4番ヘ長調、5番ホ長調と聴き終えたところで富貴晴美に方針変更。

というのも昨日、車で聴いたきらクラ富貴晴美「音楽は映画に世界観を与える」が印象的だったからSpotify富貴晴美検索して関ヶ原を見つけてBGMしているからだ。

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富貴晴美の言葉は平板なスクリーンに音楽は奥行きを与えるという意味も含んでいて彼女の映画音楽作曲の根っこにあるようだ。


それはさておき昨日の我がブログ


メシアンの信仰と音楽とがどんな回路でつながっているのか、そしてこの「主の降誕 九つの瞑想」が何を意味しているのか、バッハ受難曲となぜこんなにも違うのか等々、バッハ→ショスタコメシアンの今朝の流れはひとつの恩寵=ご縁だったな。ちなみにこの三人の音楽は、ロマン派→音楽に意味を求める人々とは一線を画している共通点ありと位置づけている。意味を求めるロマン派はもう聴き飽きたのだ。

にFBでコメント頂戴した。

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バッハ、ショスタコメシアンには超越なる共通の「意味」があるやろとの指摘だ。
そこで沈思黙考。人生観×世界観の二項対立で得意の人生方程式。


人生観と世界観の間には苦楽、美醜などのグレイボーダーがあるが、損得好き嫌いは明らかに人生観、虚実は世界観の核だ→キリスト教も仏教もこの世は虚とする傾向があるもんね。
そこでレッテル貼り結論。バッハは世界観音楽、ベートーベンは人生観音楽、ショパンも人生観、ドビュッシー は世界観てな具合だ。今朝も恩寵=ご縁を得たり。