意味からエロスへそして希望を
目覚めて今朝はと考えてイギリス組曲ペライア←昨日はフランス組曲全曲ペライアしたので。
ところが1番イ長調、3番ト短調を聴き終えたら気分転換したくなりショスタコ弦四1番フィッツウィリアムQ。
よし、これで今日の日記、何かでっち上げできるなとBGMはメシアン オルガン曲全集ラトリー 。
メシアン:オルガン作品全集
主の降誕/栄光の御体/聖三位一体の神秘への瞑想/キリストの昇天/聖霊降臨祭のミサ/オルガンの書/聖体秘跡の書
オリヴィエ・ラトリ(Org)
2000年7月デジタル録音。フランスを代表する現代音楽作曲家メシアンの没後10年を記念しての、オルガン作品全集です。
これが面白かった。BGMに出来なかったのが嬉しい。
この6枚組、一枚目に収められているのが
主の降誕 九つの瞑想
I.聖母と幼子
II.羊飼いたち
III.永遠の摂理
IV.言葉
V.神の子たち
VI.天使たち
VII.イエスは苦難を受け給う
VIII.東方の三博士
IX.神は私たちと共に
各曲の標題を念頭にメシアンのケッタイな音楽を聴いているといろんな妄想瞑想が湧いて来る。メシアンについてはトゥランガリラその他管弦楽曲を聴いているがオルガン曲もこれで聴き込めると自信を得た。
メシアン「キリストの昇天」@ジョン・ギロックBS2再生。いつも思うのだがメシアンの信仰が彼の中でどんな回路を経てこの奇妙な音楽につながったのか大興味。「彼は十字をきりながらマスターベーションしているようだ」との説で一応理解ではあるが。http://bit.ly/4wv2OE
— 土曜日 (@doyoubi) 2009年12月17日
メシアンの信仰と音楽とがどんな回路でつながっているのか、そしてこの「主の降誕 九つの瞑想」が何を意味しているのか、バッハ受難曲となぜこんなにも違うのか等々、バッハ→ショスタコ→メシアンの今朝の流れはひとつの恩寵=ご縁だったな。ちなみにこの三人の音楽は、ロマン派→音楽に意味を求める人々とは一線を画している共通点ありと位置づけている。意味を求めるロマン派はもう聴き飽きたのだ。
そこで意味といえば書き落としてはならぬのが我が短歌旧作。
生きる意味は希望 - 天井桟敷日記
— 土曜日 (@doyoubi) 2019年12月28日
エロスより出でてエロスに環り来む意味を求めてめぐりし後に
エロス=希望と読み替えればいいのだ。希望こそ生きる理由=意味であった。 https://t.co/gg6z9dfEkE
人生に意味はないけど、希望はあってもいい否あった方がいい。キリスト者はインマヌエル=神は我らと共に、という希望を持てるのが羨ましいと無神論者はちょっぴり妬むのではある。