天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

一期一会、謙虚、無心

NHKが何度も再放送している番組。


ハイビジョン特集 漂泊のピアニスト アファナシエフ もののあはれを弾く(初回放送:2008年)ピアニストであり詩人・作家でもあるV.アファナシエフ旧ソ連から西側に亡命した過去を持つ。自由を得たものの故郷を捨てたことへの辛さを抱え続けていた時に出会ったのが、日本の古典文学。「もののあはれ」が亡命経験と重なり、創作の源となったという。その精力的な活動の姿をパリ・モスクワ・京都に取材。


観るのは少なくとも3回目かなあ、昨日見終えたが、下の記事にあるように「静寂」が彼のキーワード。


アファナシエフは幼少期に道に迷ったときに森の中で聴いた静寂の響きに深く心を捉えられてきたのだという。アファナシエフにとって静寂を感じることとは、世界と一対一で向かい合うことであり、それゆえ自らを存在者として存在せしめるのだという。とりわけ、音楽を学び始めた頃にソフロニツキイのピアノに沈黙の響きを聴きとって以来、静寂の中から立ち上り、静寂の中へと帰っていく音楽を奏でるとき、たとえフォルテシモで弾いているときでさえ、静寂を感じ続けることが大切なのだ、との認識に到ったと語っていたのが印象に残っている。


アファナシェフの録音はSpotifyに少なかったのだが、番組を見ながらSpotifyを見たら最近、結構入っている。彼が「もののあはれ」の代表的音楽とするシューベルトPソナタD960変ロ長調もあった。
そこで今朝はアファナシェフD 960。

 

シューベルトが31歳の若さで亡くなる直前、1828年9月に一気に書かれた最後の3つのピアノ・ソナタは、様式的にはベートーヴェンの影響を色濃く残した第19番と第20番、それに完全にシューベルト的な世界を獲得した第21番という風に分類されることが多いようですが、アファナシエフはここでこれら3曲を、短期間に書かれた一連の作品群として捉えているかのようで、極度に遅いテンポによってシューベルトが作品に込めたディテールの魔力をことごく明らかにしてゆきます。時代考証演奏のお好きな方が聴いたら怒り心頭(?)の演奏かもしれませんが、この現代的なアプローチは、はまると癖になるほど魅力的です。

ところがこれが、自己主張が強い、哀切に欠ける押しつけがましいと散々に感じてしもた。せめて第一楽章だけはと辛抱しようとしたが堪忍ならず内田光子に切り替えて謹聴終了。

しかしここで反省→無心の前に謙虚になることが先ずは必要。今朝は偶々そういう巡り合わせやったのだ。SpotifyシューベルトPソナタ フォルダーを作成してアファナシェフも内田光子も入れておこう。人生は一期一会→謙虚→無心の筋道が見えたとフォルダーに書いておく。