天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

私を人間にしてくれる音楽

今朝もレオンハルトの素晴らしさを感じるためのパルティータ聴き比べ、今朝は5番6番
鈴木雅明レオンハルト、コープマン更にはヴァルヒャの鍵盤曲全集見つけたり寝落ちしたりして夜明けになってしもた。今日はここまでやな、最後はグールドで締め、と6番ホ短調 BWV630の冒頭曲トッカータを聴いていたらガツーンと来た。


前奏部分が終わった後のフーガ風の部分←無限に時間が続く感じにガツーンと打たれたのだ。
今まで何回となく聴いていたのにいったい何を聴いていたんや、この散漫耳め、頭めとネット検索→言葉でこのトッカータ を表現している記事を発見。


今日のトッカータはバッハのPartita6番の中の一曲目です。はじめのほうはとても即興的でドラマチックな音楽です。自由なリズムを持つ長いアルペジオや旋律は怒り、不安や悲しみを表しています。そして、フーガようなところから、私たちはゆっくり神様に向かって歩いて行くような音楽です。トンネルの一番向こうにある、まぶしい光に向かいます。希望へ向かって、祈るような気持ちを表している音楽です。最後にもう一度、前の即興的な音楽が現れますが、今回不安な気持ちは段々に安心の気持ちに変わります。素晴らしい曲です。
ある意味では、バッハの音楽はとてもロマンティックな音楽です。 音楽で自分の気持ちを語っているショパンシューマンとちがうところは、バッハは、 一般の人間の気持ちを語っているという事。音楽で我々人間の喜び、悲しみ、痛みなどを表現しました。 私たちの気持ちを表している音楽は、神様への「祈り」ようなものになりました。

ロマン派は自我表現→自分の感情を音楽で表現しようとするが、バッハは違う。バッハの音楽は神に対する人間を表現する音楽、つまり狭い日本には住み飽きた→自分を超えて人間になろうという音楽。ロマン派は具体、バッハは抽象と言ってもいいだろう。
ああ、だから俺はバッハが好きやったのだ。狭い俺には住み飽きた→人間になろうと思ってバッハを聴いていたんや。

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ラ・トゥール「大工の聖ヨセフ」

キリスト教を信じるつもりはサラサラないが私が人間になるためには私を照らす蠟燭が必要、蝋燭に照らされて私は己の喜怒哀楽の奥底にある原罪をしっかり認識し、救いを求める。神さま、狭い私を捨てさせてください、ちっぽけな喜怒哀楽や損得に囚われている哀れな私をお救いください。


バッハの音楽=祈りがちょっぴり分かったかな南無妙法蓮華経