天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

作曲→演奏→聴楽

コープマン9枚組からバイオリン&チェンバロソナタ6曲を聴き終えた。
 

【CD6】
ヴァイオリン・ソナタ第5&6番 BWV1018&19
 

モニカ・ハジェット(vn)
トン・コープマン(cemb)

無伴奏ソナタに比べてこのデュオソナタ知名度が低く、俺も4番の冒頭のマタイ受難曲アリアに似た部分しか耳覚えがない。今回全6曲を聴き通してもあまり印象が深まらなかった。イカン、グールドのデュオをだいぶ聴き込んだのになあ。
そこで後日、今度は名曲解説ライブラリーを見ながらリベンジすることにした。

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内容がやや古いです。 1993年刊行ですが、内容はそれ以前に書かれたものの寄せ集めで、1970-80年代の研究をまとめたという印象で、最新の研究を踏まえていません。 

さて、バッハSpotifyの後は溜まっているFM録音消化→クラシックカフェ ベートーベンop 131嬰ハ短調エマーソン Q。
こちらはベートーベン晩年弦四に親しむ道を開いてくれた名曲。エマーソン Qの演奏も素晴らしい←欲を言えばもう少しギラギラした脂肪感が欲しいが。それはともかく聞いてて音として変化たっぷり面白いのだ。以前はこの曲にベートーベンの思想や諦念を嗅ぎ取ろうとしたのだが近頃は音として面白いかどうかを愉しむようになった←つもりだ。
そこで思うらく
作曲家は様々な工夫や努力の果てに楽譜=設計図を作る。彼が残せるのは設計図のみ。
そして演奏家はその設計図から音楽を彫塑する、即ち建築物を構築する。
そして聴き手は出来上がった建築物を眺めてその使い方や意味をイメージする。
要するに音楽の面白さやとりわけ意味を作り出すのは作曲家や演奏家ではなくて聴き手ということだ。従って、音楽に作曲家の思想や人生観を聞き取ろうとするのはナンセンスなのだ。
だから俺はもうバッハやベートーベンの音楽の意味や思想、価値その他の観念を聴こうとは思わない。そこにあるのは音の変化のみ。それを面白いいや面白くないと感じるのは聴き手、俺の勝手なのだ。