天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

武満は瞬間を聴け

この週末カンブルラン京響ライブに向けてこのところ毎日、武満徹「夢の時」を予習しているのだがあいも変わらずちんぷんかんぷん。そこでヒントはないかとネット検索→読み応えある記事に出会った。


現代音楽にもかかわらず武満ファンは数多い。その理由の一端は、伝統的な音楽との差異を感じさせる外見の裏に、伝統的な音楽要素を取り入れている点にあると思う。事前にスコアを勉強し、集中を切らさなければ伝統的な形式観に則って構成を理解して武満の音楽をたのしむことも可能である。
しかしそのような聴き方を武満の音楽に対してするのは勿体ない。むしろ先入観なしで、音楽としてのまとまりある持続を感じられなくてもよいから、一瞬一瞬の音との出会いをたのしむつもりで接する方が、武満独自のよさを感得することができるだろうと、私自身の体験から思う。。

なるほど、音楽の横=時間の流れを捨象して縦=瞬間の音を楽しむ、それが武満の聴き方かあ。よし、とも一度「夢の時」を聴いたらダリ「記憶の固執」を想起した。

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観念的な言い方をしたら武満がこの曲で目指したのは時間の解体やなと屁理屈好きはまたもや理屈をコネてしもた。
それはともかく上に引用した記事の筆者は中村滋延という作曲家。ツィッターをフォローさせて貰った。


人生は全てご縁、めぐり合い。毎日なにがしかのご縁が生まれるのは有り難い、幸せや。