天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

武満徹「フォリオス」

昨日の朝日朝刊 (語る 人生の贈りもの)荘村清志 で拾った話。


武満徹さんが僕のために新しい曲を書くと約束してくれて、僕はすっかり有頂天でした。でも、そのあと酒の勢いで、野球の話になったのがまずかった。「君はどこのファンなの?」「巨人です」。不穏な沈黙ののち、「もう君のためには書かない。僕は阪神。巨人は大嫌いだ」。えっ、それは困る! 「ごめんなさい。僕、今から阪神ファンになります」
 あの「世界のタケミツ」がこんな拗(す)ね方を……と呆気(あっけ)にとられましたが、この子供っぽさが、武満さんの音楽のあの純度の高さの証しでもあったのでしょうね。
 《1974年5月、武満徹の初ギター独奏曲「フォリオス」が完成し、荘村に捧げられる》
 音よりも余韻が雄弁に語りかけてくる、全く新しい音楽でした。最後にバッハの「マタイ受難曲」のコラール「いつの日か我去り逝くとき」の旋律がふと現れます。武満さんが生涯、自身の道しるべにされ、亡くなる前日まで聴かれていた曲でした。本当に魂をこめて書いてくださったのです。
https://digital.asahi.com/sp/articles/photo/AS20191023000110.html


そこで今朝は武満徹フォリオス」松岡俊介


たしかにあの「血潮したたる」がフォリオ3で聞こえてくるが、曲全体はなんというか武満難解。武満の音楽は音よりも沈黙に耳を澄ませて聴かねばならぬのかも。
 f:id:doyoubi92724169:20191024043743j:image

ところが、この『音、沈黙と測りあえるほどに』はそういう稀な一冊だった。それも現代音楽家の文章である。武満徹の音楽はレコード以外にもすでに『ノヴェンバー・ステップス』を東京文化会館で聴いていたが、その武満さんがこういう音が聴こえる文章を書くとは予想もしていなかった。とくに「吃音宣言」には胸が熱くなった。


大昔にエエカッコして読んだけど署名うろ覚え以外何も覚えていない。人生は忘却なり。