バッハ→脳を空白にするための音楽
昨日、フランス組曲ペライアしてフランス組曲の脳内イメージがほぼ出来てることを確認出来た。そこで今朝はイギリス組曲1番、3番ペライア。
3番を聴き終えて、そうや脳内イメージ確立のためには聴き比べとグールドで1番。
一聴、グールドはスケールが違う、大きい、と感じた。昨日はグールドはをかし、ペライアはあはれなどと並べて書いたが、それは間違い。グールドはペライアを包んでいる。
そして閃いたのはバッハ→脳を空白にするための音楽。
音楽を謹聴しても浮かぶ雑念多々妄想。それではならじといつも集中=祈りに努めるのだがなかなか出来ぬ。
吉永小百合 音楽方程式そして祈り - 天井桟敷日記
— 土曜日 (@doyoubi) 2019年10月18日
祈れ、集中せよとバッハが叱咤してくれるのだが雑念散漫止むを得ず。そうか、バッハを聴く意味は祈り=集中にあると存念出来たのは収穫。今日は5の日だから大江健三郎ヤフーショッピングせむ。 https://t.co/Bac6qQ2qbN
そこで屁理屈好きの日記は純粋経験←西田幾多郎に飛ぶ。
「純粋経験に於ては未だ知情意の分離はなく、唯一の活動であるように、まだ未だ主観客観の対立も無い。主観客観の対立は我々の思惟の要求により出てくる」……西田幾多郎
— 倫理bot (@rinnri_bot) 2019年10月18日
要するに俺は音楽を純粋経験したいのだ。
10月21日(月)は西田幾多郎「善の研究」第三回。いよいよ西田哲学の根本である「純粋経験」と「実在」の解説にはいります。「善の研究」中、最も難解な部分をさまざまな体験や例え話などを用いながら、これまでにないわかりやすさで若松英輔さんが解説してくれます。ぜひご覧ください。
— 100分de名著 (@nhk_meicho) 2019年10月18日
期待してるよ、若松英輔さん。